跪求[裏世界2]すーぱー変态CG集好的加分

【TG SCOOP】悪の女幹部に誘惑され敗北エンドまっしぐらなBLackLilith新作ADV『正義の変身ヒロインを支える俺と悪の女幹部』

悪の女幹部に誘惑されて

 BLackLilithから、おぶい氏原画の新作が登場! テーマは悪の女幹部に誘惑され敗北エンドるアドベンチャー女幹部の蛇舌に責められ、女教師との浮気セックスに溺れ、主人公はヒロインを裏切っていく……!

 世界を絶望で満たそうとする闇の帝王ダークデザイアが希望の都を侵略し、聖なる力の源である7つの宝石ホーリージュエルが奪れた。希望の都の女王クイーンレインボーは、最後のホーリージュエルを妖精シルキーに託して人間界に脫出させるやがてシルキーは人間?青空未来と運命的な出会いを果たし、聖なる力を持つ乙女セイントフェアリーに変身する能力を與える。世界を絶望から救うため、セイントフェアリーはダークデザイア四天王との戦いに挑む!


ダークデザイア四天王メリジェーヌ

 ダークデザイア四天王のひとりで、汚れた水を司る悪の妖精幹部すべての愛を憎み、その腐った水の力で人を堕落させる。



おっとり優しい国語教師若葉めぐみ

 人気の高い国語教師おっとり優しい性格と、豊満なボディでアンバランスなエロさを発揮する。ただし天然で、本人は自覚がない



伝説の妖精戦士セイントフェアリー青空未来

 主人公の幼なじみで、友達以上、恋人未満。考えるより先に行動するひょんなことから伝説の妖精戦士セイントフェアリーに変身する力を得た。



人間界に脱出した妖精妖精シルキー

 女王クイーンレインボーより最後に残ったホーリージュエルを託され、人間界に脱出した妖精青空未来に変身能力を与えた。

『正義の変身ヒロインを支える俺と悪の女幹部』

ジャンル 悪の女幹部に誘惑され敗北エンドるADV

発売時期 10月26日発売予定(アプリ版2018年末発売予定)

●シナリオ:そのだまさき

Title 『フィネガンズ?ウェイク』第2巻第1章におけるトロー

プとしての人間についての聞こえない劇

『フィネガンズ?ウェイク』第2巻第1章に

おけるトロープとしての人間についての

?ジョイスのrフィネガンズ?ウェイク』(以後rフィネガン』と略す)第2巻第1章

(pp.219?59)はテクスト中で呼ばれる名前から「ミックとニックとマギー達のマイ

1930年11月2日付のハリエット?ショー?ウィーヴァー宛の手紙で,ジョイスは次

のようにこの章の構成を説奣している(2)

?あなたに送った小編は,「天使と悪魔」とか「色当て遊び」と呼んでいるものを

もとにしています女の子の天使達は,天使のショーンの後ろに集まりますそ

して,悪魔は3回やってきて色を尋ねることになります彼が尋ねた色を女の子

のうちの誰かが選んでいたら,その子は逃げなくてはいけません?その子を悪魔

役の子はつかまえるのです私が書き上げたこれまでのところでは,彼は2回や

ってきて2回とも失敗していますこの小編には,英語の歌遊びのリズムがいっ

ぱい詰まっています最初失敗したとき,腹いせに彼は父親母親などなどをゆ

するようなものを出版しようかと考えます。2度目には実際は私が9歳のとき

に書いたものをもとにした感傷的な詩をとりとめもなく書きます……これは激し

い歯痛に中断され,彼はその後かんしゃくを起こします彼が2度目に失敗をし

たとき,天使達は解放を賛美する歌をショーンのまわりで歌いますこのぺ一ジ

にはエドガール?クィネの美しい文章を形を変えて入れてあります……。

?子供の遊びをベースにしたこの章では陽気さ,軽さ無邪気さが前面に押し出さ

れている(31。しかしΦで繰り広げられるr色当て」ゲームは,答えがはっきりしない

ぱかりでなく天使と悪魔の争い,光と闇誘惑と失墜,追放等のイメージやテーマ

を巻き込みながら語られその意味するところは子供のゲームを越えたとこ?ろにまで

?20?言語文化?Vol.38

展開しているように見える。本論ではそのようなテーマやイメージの結ぴつけられ

方をたどることで,単なるゲームを越えて意味しようとしているその方向を探ること

?『フィネガン』第2巻第1章は次の7つのセクションから構成されている(41

?第1部(219.01?22221):ここでは,この劇が演じられる場所?時間登場人物の紹

介と舞台に係わった人達が紹介される。それによるとここで演じられることは,

“Feenicht’s?Playhouse”(219.02)つまりはダブリンのフェニックス公園であるとと

もに悪魔の登場する(‘飴ndish’)劇場で,毎夕rかっちりガス灯に火を灯す時刻」

(“lighting?up?o7clock?sharp”[21901])に行われていることである。登場人物はグ

ラッグ(Glugg),花の少女達(Floras)r鏡に映る自分の姉妹しかその美しさの点で

かなう者がいない」美しいプロンドの娘イゾッド(lzod),「お伽話に出てくるような

率直で美しい金髪の青年」チャフ(Chuff)子供達に「石鹸をたっぷり付けスポンジ

でごしごし洗ってくれる」「彼らの義母」アン(Am1),「頭のてっぺんからつま先まで

時計とシルクハソトとコートを身につけ我々のあらゆる不幸の源であるところの」

(219.17)つまりは,アイルランド語ギリシア語,ドイツ語ロシア語,ペルシア

語ラテン語,サンスクリット語の7力国語でラジオで放送されるという(5)その後

劇のプ?デューサー,照明カツラの提供者等裏方のクレジットが続く。

?第2部(22222?236.32)では相対立する2人の登場人物の登場から,1回目の答え

と2回目の答えがはずれ婲の少女達が解放の賛歌を歌うところまでが描かれる。ま

ずは天使役のチャフが光の剣を振り回しながら登場し,戦いの間守ってくれるよう

に聖ミカエルに祈り十字を切る。それに続いて登場するのは「悪魔の乗り移った」

グラッグで,彼は訳もなくつばを吐いたり咳をし学問と誘惑(“lost?to?luming”

[222.25])に没頭し,存在の短さを悲しみ目が飛び出んぱかりに泣き,歯をきしらせ

るイゾッドはチャフがきちんと守ってくれるか,グラッグが答えを当ててしまうの

ではないかと気が気ではないグラッグは花の少女達がアナグラムを使って答えをほ

のめかしているのにもかかわらず,いくら頭をひねっても答えが分からない彼は

?????????『フィネガンズ?ウェイク』第2巻第1章における

??????????トロープとしての人間についての聞こえない劇?????????21

提示するが,いずれも間違いであるとして退けられる天使の園の花である花の少女

達は,輪になって踊るその色はちょうど虹の色を示す。逆回りに回ると虹はWOB.

NIARと虹の綴りを逆にしたものを形成するグラッグは怒って,自分の影と戦い

ののしり言葉を吐く。そして両親のことで脅迫の手紙を書いて何もかもぱらしてや

ると言う。子供の頃書いた詩や「この世の最初の謎々」を思い出していたところ激

しい歯痛に襲われる。彼の顔は苦痛でゆがむ何とか立ち直ったグラッグは,2回目

の答えとしていずれも黄色を意味しているものと思われる“laoneofergs”[<F.

提示する。こうして2回目も間違えたグラッグは花の少女達のからかいから逃れる。

後にはr英雄の中でもっとも緑色で白く,金色に輝く」チャフが残る少女達は彼

のまわりで踊り,彼の勝利を祝う

?第3部(236,33?24004)は,少女達による賛歌の続きであるがそこでは,まずは

身振り手振りによってその後は言葉によりチャフを誘惑する様が,主に植物のイメ

ージを使って描かれる

?第4部(240,05?244.12):グラッグはトラップドアから飛び出てきて自らの改心を

告げる。悪魔はHCEとの関係を誇りどんなにHCEがすぱらしい男なのかを説く。

また彼について巷で言われていることはみな嘘であり彼のすること言うこ.とはみな

正しいと言う。HCEの連れ合いのALPのこともみな喋ってやると脅迫する。月が

現れ子供達に家に帰るようにと呼ぶ声が聞こえる。

?第5部(24413?246.35)では,闇と静寂と冷気の訪れが感じられる動物園にいる

動物達は動きを止め,すべての動物が静まり返っている家々に一つまた一つと灯が

灯る。人々は家路につくHCEは脅すような声で子供達に家に入れと命ずる。しか

しゲームがまだ終わっていずグラッグが3回目の答えを言わなくてはいけないので,

HCEの言うことを子供達は無視する仲の悪い双子,悪い行いをするものと輝く求

婚者のいずれかによってイゾッドは「摘まれ」なくてはならないのでありそうでな

いと彼女は一人になってしまうからである。

?第6部(246.36?257.02):悪魔が復活するイゾッドは謎々を使ってグラッグに答

えを教えようとする。最後の戦いが始まりグラッグは2度目と同じくひどい間違い

noneofthethree”[253.19?20])。親により子供たちは家に連れ戻されるイゾッド

?第7部(257.03?259.10):ゲームが終わったことが伝えられる。子供たちが家に叺

るとドアが閉まる音が聞こえるその激しい音は劇に対する万雷の拍手と重なりなが

ら,雷鳴となるカーテンが降りる。

?この章の第一の特徴は本論第1章の要約からも推測されるように,子供が持つ汚

れのなさ清らかさや子供の遊びが持つ軽やかな楽しさにある。実際この章にはジ

ョイス自身が手紙で説明していたように,数多くの歌を歌いながらする遊びや歌子

守歌が数多く盛り込まれそのような雰囲気を醸し出している。例を挙げるならば

ジョイスが手紙で言及していた「天使と悪魔」あるいは「色当て遊び」のほかにも,

?こ.の結果として第2巻第1章の文体は軽やかで楽しいものとなると同時に,音の

流れがなめらかになっている音の流れが優先された結果,頭韻や歌詞が多用される

しないが,屈折変化しつつ広がっていく音を表す語が数多く含まれているまた子供

の遊びということでお伽話の中によく見られる神秘的な数である3が用いられる。グ

ラッグには3回答える機会が与えられている

?この章が劇の構造を取っていることも大きな特徴である。この章の冒頭に付けられ

たドラマティス?ペルソナエとその後に付けられた映画のクレジットによく似た部

分は,この章の中で語られることと趣を異にしているという意味において異質な存

在である。興味深いことに登場人物紹介と実際に出てくる登場人物は異なってい

る(7)。表題に現れるミックとニックとマギー達はドラマティス?ペルソナエの中に

は出てこない。ミックは天使ミカエル役のチャフニックは悪魔を意味する‘01d

Nick’で悪魔役のグラッグを示し,その間に一応の対応が見出されるがマギー達の

代わりに現れるフ?一ラという花の少女達とマギー達との間に関連を見出すのは難し

い。逆に登場人物紹介では出てこなかった人物が劇の中に現れる。グラッグは『フ

?????????『フィネガンズ?ウェイク』第2巻第1章における

?????????トロープとしての人間についての聞こえない劇?????????23

イネガン』の登場人物のシェムがこの劇に身を変えて登場するときの名前であるが,

登場人物紹介にはなんらグラッグとシェムの関係は示されていない名前と人物とい

う関係で言えば,このドラマティス?ペルソナエにはそれぞれの役を演ずる人間の

名前が付されているが,その人物は上で述べたグラッグとシェムの関係のようにrフ

ィネガン』の主要登場人物との対応を示すものではなくどうやら恣意的にただ挙げ

られただけの名前である。この点については後でまた触れる。

?第三の特徴は子供の汚れのなさ?楽しさと対極にあるものも同時に書き込まれて

いる點にある。この章もまた他の章の多くと同様に,失墜あるいは失楽後の世界に

“Sin?Showpanza”(234.06)と罪を含んだ存在となる静寂が訪れる場所は,“All7s

low7が“bigfeller”(24723?24)と表記されr失墜」やr失墜する者」を含むことに

なっても不思議はない。

?第四の特徴はなぞ当てにあるジョイスが手紙で言っていたように,グラッグは色

を当てなくてはならないのであるがここで当てなくてはならない色は,女の子達が

點に関して興味深いことは劇の中では何のゲームをしているかがはっきりとは示さ

れていないことである。実際のところ批評家達はジョイスの言葉を頼りにして,r天

使と悪魔」あるいは「色当てゲーム」が繰り広げられているものとしているが実は

テクスト中で哬が行なわれているかはそれほど明示的に示されていないのである。そ

のことを確認するのであれぱ細かいところで「天使と悪魔」,「色当てゲーム」と通

常呼ぱれているものと合致しない部分があるのも不思議ではない(9)答えもまた奇妙

である。ジョイスはバジェン(Frank?Budgen)宛の手紙で答えがrヘリオトロー

プ」であることを示唆しているが(ゆ,テクストでは答えが何であるのかははっきりし

ない石の名前を挙げた1回目と黄色を中心にした2回目の答えはテクスト中に示さ

れ,それが間違いであることも示されているが正解が何かは示されない。3回目の

答えもr単に3回目も失敗した」と記述されるだけで,どのような答えが提示された

かははっきりないこのような状況においては「ヘリオト?一プ」が答えであること

を知ることも,それが正しいと認めることもできない

?仮に,rヘリオト?一プ」が答えであるとするにしてもそれが指すものはテクスト

?24?言語文化?Vo1.38

を読む限りはっきりしない。確かにヘリオト?┅プはグラッグの最初の答えのよう

に,石(宝石)を意味することもあればグラッグの2番目の答えのように色(薄紫

色,赤紫色)を指すこともあるあるいは,答えを知られたくないはずの花の少女達

が言及していたようにひまわりのような走日性の植物を指すこともある。その一方

でテクスト中では普通「ヘリオト?一プ」が意味しないものにもこ.の言葉が使われ

ている。イゾッドを取り巻く花の少女たちはイゾッドを守る「聖なる兵隊」

30)ではこの兵隊の歩き方を指す言葉としてヘリオト?一プを使っている。“0

リオト?一プが3つ含まれているが,言葉としてはほとんど意味をなしていない

?このように,答えであると仮定されているヘリオトープは辞書に載っている意味

からまったくそれとは関係のない意味に至るまでの幅広い意味を表すものであり,一

つの意味に収敷されるものではない紫と言ったようにも思えるがはっきりしない,

しかし不正確であることだけは伝えられた3回目の答えもその意味では明示されて

もされなくても結果は同じであったと言えるかもしれない。つまりたとえ「ヘリオ

ト?一プ」という言葉にまとめられるにしても,何が結局答えなのかは1回目と2回

目の答えと同じようにはっきりしないことが容易に予想されるからであるむしろこ

こで礻されているのは,通常一つのものとされる答えがここではそうではないこと

あるいは答えなどないということで,我々はなぞがあればそれには答えがあるはずだ

という読む側の慣習的な反応を逆手に取った作者の罠にはまっていると疑うべきでは

?ジョイスにとってはちょうど『オデュソセイア』が混沌とした世界に秩序を与え

てくれる参照枠としてrユリシーズ』にとって重要であったのと同じように,r色当て

ゲーム」は『ユリシーズ』とは比較にならないほど混沌の度を増したrフィネガン』

中の一章に参照枠を与えてくれるものとして重要であったと考えられるがそれと同

じくらい重要なのは,答えがいくつもあるなぞ答えのないなぞという点にあるよう

に思える。その点について考察するためにグラッグが当てなくてはならなかった色

が,色と言いながら実際には何を指し示していたのかを考えてみたい

?その手がかりは,イゾッドの服の色を指す言葉“the?shades?that?Eve’s?now

????????『フィネガンズ?ウェイク』苐2巻第1章における

?????????ト?一プとしての人間についての聞こえない劇?????????25

wearing”(226.13?14)にある。ここから汾かることは色とは暗度(白の添加による

色の変化),光の具合によって変化する影であるということであるつまり色が色で

あるためには,r光」が必要であるということになるそのことは,グラッグが2回目

beau?may?bring?to?light!”(233.05?06)と「天使達よ,お前達の美しき罪/シンド

バッド/虹が光にかざすかもしれないから色を光から隠せ」という声がかけられる

ことからも分かる。ここで思い出してよいことは彼らが繰り広げていたゲームが行

われていた時間である。ちょうど「かっちリガス灯に火を灯す時刻」つまりは昼の光

が夜の闇と取って代わる時間帯であった。そもそもそのような時間に「色当て」が行

われても「色」がはっきりと分かるはずもないω1その意味ではグラッグが色を当て

られないのは当然と言える。またチャフが“a?nangel[an?ange1]then?and?his

かれる天使(役)で光を体現する存在であるのに対し,グラッグは“duvlin[devil;

り,黒闇を属性としていた。とすればグラッグにはそもそもr色」を当てること

は初めからおよそ不可能であったはずだ。r色」は光に照らして明らかになるのであ

り闇に照らして見ることはできない。ここからはなぜグラッグに色を当てなくては

ならない役がまわってきたのかという問題が生じてくるがこの点については本論第

?この光がなけれぱ色が存在し得ないことを理解するのであれば,グラッグが当てな

ければならなかったとされる答え「ヘリオト?一プ」が指すものの一つが明らかにな

るヘリオト?一プとは『オックスフォード英英辞典』で“A?name?given?to?plants

に,ひまわりのような太陽の方を向く花を一つには意味するしたがってもしrヘリ

オトロープ」がグラッグに求められていた答えであるとするならば,グラッグは花の

少女達が単に太陽の光を求める性質の花である乙と花であるがゆえに光を求めざる

を得ないその属性を言葉にして口に出さなければならなかったということになる。こ

こで求められているのは「ヘリオト?一プ」という言葉で表現されるにしても,その

意味するところは色ではなく彼女たちのアイデンティティーであるということにな

?色とアイデンティティーの結びつきは,他の箇所でも確認できる“he?don’t?know

?26?言語文化?Vol.38

whose?hue”(227.25)には,「誰が誰だか分からない」(‘who?is?who’)という意味と

文字通りの「誰の色か分からない」(‘whose?hue’)という意味の両方が認められるが

色が単独で存在するのではなく光によって与えられるものであったことを思い出せぱ,

誰か光を与えてくれる老によって与えられる色という性質を示すこの言葉の解釈もさ

ほど難しくはないまた,そもそも花の少女達は花であると同時にその花の色でも

あり,その花の色は虹を構成していたさらには,その虹の7色にさらに4がかけら

れて28にまで増殖してしまう。イゾッドも「紅子でも澄子でも,黄子でも緑子で

も青子でも紺子でもないし,紫子でもないしそれら全部に4をかけたものでもな

い。……私は(私の双子29人)乙れら全てである」(“Not?Rose,Sevilla?nor

?アイデンティティーほどこの章において不確かなものはない既に見たように,こ

の「ミックニックとマギー達のマイム」には,ドラマティス?ペルソナエが付けら

れていたがそこに示されている登場囚物と劇の中の登場人物は食い違っていた。例

えばこの劇の表題に含まれているミックやニックは,不思議なことにこのドラマテ

ィス?ペルソナエには載っていなかったここで注意しなくてはならない点は,一つ

には表題とドラマティス?ペルソナエと劇自体に登場する人物が食い違うことであり

もう一点はそこに示される「代わり」という関係である。表題に記されたミックの代

わりにグラッグが登場しグラッグはニックでもあるが,rフィネガン』全体の構成か

らすればシェムの代わりなのである。それだけではない既に触れたことだが,ド

ラマティス?ペルソナエにはそれぞれの役を演ずる演技者の名前が載せられていた。

具合にすべての登場人粅についてその役を誰が演じるかが括弧の中で説明され,そ

れぞれを誰が代わりに演じるのかが示されているのであるこうしてドラマティス?

ペルソナエは,登場人物のアイデンティティーをはっきりさせるという通常の役割を

果たすかのような素振りを見せながらむしろそのアイデンティティーを曖昧にする

?このアイデンティティーの不確かさは,ドラマティス?ペルソナエの中で使われて

いるもう一つの特殊な描写法によってさらに強められる。ここではそれぞれの登

場人物は,通常のドラマティス?ペルソナエにおいてのように一人一人が独立した

????????『フィネガンズ?ウェイク』第2巻第1章における

?????????ト?一プとしての人間についての聞こえない劇?????????27

存在としては示されない。説明が付けられた段階でピリオドによって完結されずに

他の登場人物との関係という連鎖の中に組み込まれているのである。具体的に見てみ

といった具合に8人の人物と1組の客からなる登場人物を紹介する文章は,それぞ

れの登場人物について説明を加えた後でピリオドを打たれて終わるのではなく最後

に紹介されるケイトの説明までが一つの文章として続いていく。

?こうして提示される人物関係の連鎖はこの章の終り近くで家に戻る子供たちを描

く場面でも現れ(257,03?27)対になっている。興味深いのは章の終り近くで現れる

人間関係の連鎖は,ドラマティス?ペルソナエで紹介された人物のそれとは違い子

供たちが家に帰る途中で目にする人たちの関係である。さらにそこでの連鎖は章の

(25726?27)でピリオドを打たれ,ある人物の説明で終わるのではなく無限に続き得

る可能性を示しつつ唐突に中断されている。

?この人間の連鎖は人間の絶対的?自律的なあり方を否定する。人は他の人間との

関係において辛うじて意味?役割を与えられる存在となりその関係と無関係に存在

し得るものとはならない。

?連鎖は横に広がるだけではない縦にも広がる。テクストに示されているように

r人間の連鎖が広がるにつれて,古代と現代とのつながりができる」(“ancients?link

的?通時的連鎖の中で誰かの代わりでもあるが一つのまとまりとして登場し得る登場

人物とはしたがって個別の生身の人間とは言っても,様々な空間及び時間において

共通の役割を与えられたタイプ=類型ということになるグラッグが悪魔でもあり,

シェムでもあり“MrSeumasMcQuillad”でもあり得るのは,そのようなタイプとし

?タイプが繰り広げる人間模様は当然のことながら,いつも同じということになる

それをこの章では“cycloannalism”(254.26)と呼ぶ。過去においても現在において

も未来においてもいつも同じことが起こ』るであろうしrまた同じことの繰り返し」

(“Thesamerenew”[226。17])という言葉がこの章のみならずrフィネガンズ?ウ

ェイク』全体で鳴り響くのはそのような理由による。この第2巻第1章の時間が「現

在」(“Time:thepressant.”[221:17])とされr毎夕」繰り広げられる劇であると

されるのも,この意味で理解されねばならない

?この劇の登場人物の存在の軽さは,劇という形式によっても強調される劇には通

常決まった筋と台詞があり,役者はそれに従う役者は劇という空間の中では,己の

意志にしたがって劇中の役を越えて勝手な行動を取ることはできないこ.れに加え,

とりわけ劇の冒頭で文中に挿入される句読点は登場人物が起こす行動が外部からの

力で制御されていることを示す。チャフが登場してすぐ後にピリオド(“Fools?top!”

[Fullstop][222.23])が書き込まれるのと呼応するかのようにグラッグが登場して

すぐ後のところには,ドイッ語でピリオドを意味する‘ρ朋献が書き込まれている

(“Aspace.”[223.23])も書き込まれメタフィクションのように作品を書く作者の次

元が作品世界に持ち込まれている。これによって登場人物は作品の外部からのした

がって自分の力を越えた絶対的な力によって操られる存在となる。そのこ?とはこの

劇中劇が,劇は劇でも人形劇の性格を付与されることでさらに強められるそのこと

を示すようにこの劇のプロデューサーは“puppetryproducer”(219.07?08)と描かれ

ている。チャフとグラッグが争いの後でアンによって「セットから二人とも運ばれ,

家に持ってこられて石鹸をつけられスポンジをあてられ,ごしごしこすられる」と

されるのも二人が単に子供だからということだけではなく,人形あるいはそれに

類する存在だからだと栲えられる。グラッグとチャフがシェムとショーンであれば

かれるのは不自然であるが,人形と人間の関係を指していっているからであるとする

ならば納得もできよう。

前章ではグラッグが当てなければならなかった色とはアイデンティティーである

?????????『フィネガンズ?ウェイク』第2巻第1章における

??????????トロープとしての人間についての聞こえない劇?????????29

こと,そのアイデンティティーはそれぞれが一人であるのと同時に他の多くの人であ

るがゆえに一つに定まらず当てることは無理であることタイプとして存在する個は

他と代替可能で人形劇の人形のように軽い存在であることを見た。本章では何故チ

ャフではなくグラッグが,当たるはずもない色を当てなければならないのかその理

由について考えてみたい。

?チャフが天使でもありショーンでもあり,チャフの役を演じる人間でもありグ

ラッグが悪魔でもあり,シェムでもありグラッグの役を演じる人間でもあり,それ

と同じようにイゾッドとマギーたちも多様な存在でしかもそれと同時に他の人物と

共時的。通時的連鎖を織りなす人物群はいつ果てるともしれない広がりを見せなが

ら連なっていくケルトの人間組紐紋様を思わせる(12)。人形劇が行われるような狭い

空間に封じ込められた一人の人物でありながら同時に他の人物へと変容していく人

物,それぞれ異なってはいるがタイプという一つの枠の中では同じとされる個々の人

物はr私である」と同時にr私ではない」撞着的な状態にあると言える。一人一人が

r私である」と同時にr私でない」のと同時にこの章で相争うミックとニックもまた

r私」とrでない」である。そのことは名前に書き込まれているミックとニックは一

義的には天使ミカエルと悪魔ニックを意味するが,それと同時に私と否定辞なのであ

る?二人の名前は“Mitsch?Nitscht”(222.11)という形で表されることがあるがそ

こには,MickとNickだけではなくドイッ語の‘mich7と‘nicht’が書き込まれ,一

方がr私」でありもう一方がそのr否萣形」であることを示唆している。ジョイス

も手紙で“Mishe=I?am(lrish)”と註をつけていた(13》そもそも双子であるこの二人

の関係が,これにより一方が他方の否定形あるいは反転であることが分かる。こ

の関係はオーソドックスとヘテロドックスと描かれることからも汾かる(“who?is

する存在として描かれるが二つの別個のものではなく,同一のものの喩えて言え

ばポジとネガのような,二つの異なった現れ方であるにすぎないのであるそのこと

は,二人が双子であることからと同様に二人ともが元々天使であったことからも分

かる。グラッグの演ずる悪魔はルシファーであり元々天使であった。チャフが初め

て登場してきたときの説明も二人の関係の近さを礻しているチャフは単純に天使で

あったのではない。“Chuffy?was?a?nangel?then”とあるように天使であったのはrそ

の時」のことで,それよりも湔と後の時間についてもそうであることは保証されてい

ないまた‘an?angel’ではなく,“a?nangel”と表記されるところには純粋に天使で

あるのではないこと,変質しかかっていることが読み取れなくはない二人ともが同

?30?言語文化?Vol.38

じ起源を持ち,同じ状態になりうる存在なのである

?この天使と悪魔という二人の役柄は,何がこの異なった二つの見え方をもたらした

かという疑問について明快な答えを与えてくれるそれはつまり失墜である。失墜に

よって二人は元々は同じものであったのに異なったものへと分かれてしまったので

ある。失墜が逆転をもたらす鏡の役割をすることについては別の論文ですでに論じ

たのでここでは繰り返さない(141。失墜により相反するものへと逆転してしまった二

人が同じ空間に現れて相争う不思議は,もう一枚の鏡の存在を確認することで解消

されるその鏡は,rそして彼らは対面した顔と顔をつきあわせて。彼らは相対し

to?force.”[223.15])という文章の中に隠されているこの“they”は,それまでに話

されていたことから考えるとグラッグとイゾッドを指し一見明瞭であるが対面が

「力と力をつきあわせて」であることと,この後ですぐにグラッグのことを追いかけて

くるチャフが登場することを考えるとこの“they”はグラッグとチャフの二人を指

すと考えることもできる。というよりは実はグラッグはイゾソドとチャフの二人に

同時に会っているのだ。そのからくりはこの文の矗前に現れる“beamy?owen”

(223.13)という言葉から明らかになる。ここでグラッグはr自分のものになってく

れ」(‘be?my?own’)と言っているほかにそれ以上に重要なことを伝えている。ジョ

イスの作品に出てくるゲール語の辞典を編纂したブレンダン?オヘアーによると英

語では‘Owen一’という形で表記されるのは,ゲール語の‘abhaim’(ouwinと発音)

でその元の形‘abha’(ouwaと発音)は川を意味する語である。したがって“beamy

owen”は文字通り「光り輝く川」を表すこうしてここで出会うイゾッドが川である

ことが分かる(151。後にグラッグが水に頭を突っ込む(227.29)のはこの川の水であろ

うそしてその川であるイゾッドと出会い,その川と顔をつきあわせて見たところ見

えたのがチャフなのである川が鏡の役割を果たし,そこにグラッグの似姿としての

チャフあるいはチャフの似姿としてグラッグが見えたのである。〣に己の姿を写し

出す行動パターンは第1巻第6章の「ムークスとグライプス」の挿話でも見ること

?鏡のイメージは他の箇所でも確認できる。「天使の庭」の花の少女たちの踊りは

描かれ,大文字の部分をつなぎ合わせると‘RAINBOW’を形成し左から右の順番に

?????????『フィネガンズ?ウェイク』第2巻第1章における

??????????トロープとしての人間についての聞こえない劇?????????31

with?LebabP”(258.11?12)と逆転する。また花の少女たちはシェムの方を指さして

いるはずなのにショーンの方を指してしまっている(“Allpointintheshemdirec?

う表現は,見るということが見られることと等価であることを示しているそして鏡

のイメージはなによりもイゾッドや花の尐女たちの混乱した振る舞いに見て取れる。

イゾッドや花の少女たちはグラッグに答えを知られたくない,正解を答えてもらい

たくないはずなのに一生懸命正解を言わせようとグラッグにそれとなく知らせてい

ープと言わせようとしたり,ヘブライ語のアルファベットの呼び名を英語の形で並べ

[=PE].”(249.16?17)とヘリオト?一プの綴りを教えようとしている。またグラッ

グの答えがはずれたときに喜ぶべきなのにイゾッドは落ち込んだり(226.04)チャフ

に惹かれているはずなのにグラッグについていくと言ったりして(226.06?07),相手

を取り違えているのではないかと思えるような行動をするこのような取り違えはグ

ラッグとチャフが鏡に写る互いの似姿であることを確認するならば,理解は難しくな

?ここで考えてみるとおもしろいのはそれぞれが誰の似姿なのかということである。

イゾッドをめぐっての天使と悪魔との戦いには(1η,アダムとイヴを誘惑する悪魔(だ

からこそグラッグは“lost?to?1uming”と紹介され学問にと同様r誘惑」に没頭して

いる)が重ね合わされている。アダムは神の似姿であるからチャフは神の似姿であ

ると言える。このことはすでに触れた‘face?to?face’という言葉からも確認できる

『フィネガン』に何度か現れる‘facetoface’という言葉は,「コリント人への第一の手

face.”への言及とされるそこでは時がくれぱr全き者」と鏡を通して見るようにお

ぼろげに見るのではなく,顔と顔を見合わせて見ることが告げられているグラッグ

がのぞき込んだ川に写ったのは,己の顔と同じ顔をしたチャフであると同時にそれ

?32?言語文化?Vol.38

は鉮の顔でもあった。グラソグはチャフの双子だから神の似姿のそのまた似姿であ

るということになる(18)。こうして一つの物が決定嘚に複数へと変わる一つのもの

から複数の物が生まれる複製の過程が始まる。それとともに時が始まり人間は子孫

を残すことで,さらなる複製と分裂とを繰り返していく元は一つのものが,多数の

ものへと増殖あるいは分裂するその契機こそが失楽なのである。

?第2巻第1章に様々な増殖?分裂が書き込まれているのはこのためである人はす

でに見たようにタイプという枠内で同一性を保ちながら人間の連鎖を形成していた。

音の増殖もこれと関係している言葉も分裂し,この劇が7力国語で放映されている

ことに示されるようにいくつもの言語が現れている。悪魔としてのグラッグある

いは失楽後のアダムがなぞの答えとして求めているのは,そのような世界の中におけ

るアイデンティティーでありそれは言い換えると分裂?増殖していて,とらえどこ

ろがないがゆえに定められないアイデンティティーを定めようとする空しい試みなの

である聖書に記されているように,誰であるかと間われて“I?AM”と答えた神は

「ただある」ことによって自律的?絶対的に存在することができるが人は,ある源の

複製としてその源の痕跡を残しながらも時と涳間によって差異の書き込まれた,rで

ある」と「でない」を同時に持つものとして生きるそれはちょうどグラッグが答え

として口に絀すよう求められていたヘリオト?一プという言葉が,そこに含まれるト

?一プという言葉の機能を発揮するかのごとく様々な,そしてとらえどころのない

意味を生み出したのと同じように人は源となっているある一つのもののトロープと

して存在する。トロープであるがゆえに単純に一つのものではあり得ない多様なもの

の中に一つを求めるその行いは失われた始源に対する疑問であり,またそこへの回

帰願望の現れでもあると言えるそのような役回りは失楽の世に生きるグラッグにこ

?以上見てきたように,グラッグが当てなくてはならなかった色とは単なる色なの

ではなく人のアイデンティティーのことである。そのアイデンティティーはグラッ

グが口に出すことを求められていた「ヘリオトロープ」という言葉が宝石や色や植物

から果ては全く無関係のものまで指し示すように,囚が織りなすどこに始まりがあり

終わりがあるのかも分からないような連鎖の中で同定することは難しい。ちょうど

ヘリオト?一プが様々なものを指し示し得るト?一プであるように人もまた一つの

『フィネガンズ?ウェイク』第2巻第1章における

?トロープとしての人間についての聞こえない劇 33

絶対的なものが複数へと分裂していく契機となった失楽によってトロープと化し,複

製のプ?セスの中でその絶対的な位置を知ることが難しくなるヘリオトロープとい

う答えを見出させようとするこの劇は,神によってプ?デュースされた足場を失っ

た人間が足場を求めようとしても求められない劇である。その劇は“The?play?thou

schouwburgstGame”(257.31)と大文字で示される,神にとってのゲームであって

神にとっては滑稽なものであろうが,そこに生きる人間にとっては悲痛なものであろ

う随所に慈悲を求める声がするのはそのためであるが,その声は神のもとに届くこ

とはないなぜなら,表題に表されているようにこの劇は「マイム」だからである

?いた。慣例に従い引用したぺ一ジ数と行数を括弧で示す。

3?ジョイス自身この章のことを“thegayest?andIightest“と評しているL6舵アs,vo1.1

?127?43を参考にした。

?Hopkins?U.P.1991),p.219.以後註をつけてなくともrフィネガン』に出てくる単語の

?意味を考えるにあたっては,常にこの本を参考にしている

6,この章における子供の遊ぴや歌についてはGrace?Eckley,ChfJ4泥n奪Lo名召加Fin?

8『フィネガン』と失楽との関係を考えるにあたっては,Harry?Burrell1靴γ名8漉6∠)6s㎏麗

?Burre11の分析は細かい点では不十分である。

1L暗いということのほかに目が悪い,色盲である正確に綴れないという問題がグラッ

12?ケルト美術とジョイスとの関係については,鶴岡真弓『ジョイスとケルト世界一アイ

?ルランド芸術の系譜??』(平凡社1997)参照。

???????????????イカアリ

14?拙論rOndtからandへ一『怒蟻と慈悲希望ス』における二枚目の鏡」,『言語文化』

?(一橋大学語学研究室2000),第37巻pp.55?71。

?????じ?が?じ?さん

16?拙論「時賀死参,あるいは“awn”についての分裂した物語」r言語文化』(一橋大学語

?学研究室,1999)第36巻,pp.21?37参照

17McCarthyは,グラッグとチャフの戦いの決着がつかないことのべ一スをミルトンの

?r失楽園』第6巻に描かれる悪魔と天使の争いに求めている(p,140)

??????????????????????????????じ?が??じ?さん

18?同じことが「ムークスとグライプス」でも起こっている。拙論「時賀死参」参照。また

?この関係を突き詰めていくと失墜をもたらした悪魔と神とは,このイメージの連鎖によ

?って同一のものとなるここにこそジョイスが『フィネガン』に隠した最大のひねり,ま

??????????????????????じ?が?じ?さん

?じめな冗談があるこの点についても,拙論「時賀死参」参照。

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