求《ポーカーフェイス》和《雨上がりの空とキミ》两首歌曲下载地址

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找的很累啊 LZ给分吧

 僕は三十七歳で、そのときボーイング747のシートに座っていたその巨大な飛行機はぶ厚い雨雲をくぐり抜けて降下し、ハンブルク空港に着陸しようとしているところだった。十一月の冷ややかな雨が大地を暗く染め、雨合羽を着た整備工たちや、のっぺりとした空港ビルの上に立った旗や、BMWの広告板やそんな何もかもをフランドル派の陰うつな絵の背景のように見せていたやれやれ、またドイツか、と僕は思った。

 飛行機が着哋を完了すると禁煙のサインが消え、天井のスピーカーから小さな音でBGMが流れはじめたそれはどこかのオーケストラが甘く演奏するビートルズの 『ノルウェイの森』だった。そしてそのメロディーはいつものように僕を混乱させたいや、いつもとは比べものにならないくらい激しく僕を混乱させ揺り動かした。

 僕は頭がはりさけてしまわないように身をかがめて両手で顔を覆い、そのままじっとしていたやがてドイツ人のスチュワーデスがやってきて、気分がわるいのかと英語で訊いた。大丈夫、少し目まいがしただけだと僕は答えた

「大丈夫です、ありがとう」と僕は言った。スチュワーデスはにっこりと笑って行ってしまい、音楽はビリー?ジョエルの曲に変った僕は顔を上げて北海の上空に浮かんだ暗い雲を眺め、自分がこれまでの人生の過程で失ってきた多くのもののことを考えた。失われた時間、死にあるいは去っていった人々、もう戻ることのない想い

 飛行機が完全にストップして、人々がシートベルトを外し、物入れの中からバッグやら上着やらをとりだし始めるまで、僕はずっとあの草原の中にいた。僕は草の匂いをかぎ、肌に風を感じ、鳥の声を聴いたそれは一九六九年の秋で、僕はもうすぐ二十歳になろうとしていた。

 前と同じスチュワーデスがやってきて、僕の隣りに腰を下ろし、もう大丈夫かと訊ねた

「大丈夫です、ありがとう。ちょっと哀しくなっただけだから」と僕は言って微笑んだ

「(そういうこと私にもときどきありますよ。よくわかります)」彼女はそう言って首を振り、席から立ちあがってとても素敵な笑顔を僕に向けてくれた(よい御旅行をさようなら)」と僕も言った。

十八年という歳月が過ぎ去ってしまった今でも、僕はあの艹原の風景をはっきりと思いだすことができる何日かつづいたやわらかな雨に夏のあいだのほこりをすっかり洗い流された山肌は深く鮮かな青みをたたえ、十月の風はすすきの穂をあちこちで揺らせ、細長い雲が凍りつくような青い天頂にぴたりとはりついていた。涳は高く、じっと見ていると目が痛くなるほどだった風は草原をわたり、彼女の髪をかすかに揺らせて雑木林に抜けていった。梢の葉がさらさらと音を立て、遠くの方で犬の鳴く声が聞こえたまるで別の世界の入口から聞こえてくるような小さくかすんだ鳴き声だった。その他にはどんな物音もなかったどんな物音も我々の耳には届かなかった。誰一人ともすれ違わなかったまっ赤な鳥が二羽艹原の中から何かに怯えたようにとびあがって雑木林の方に飛んでいくのを見かけただけだった。歩きながら直子は僕に井戸の話をしてくれた

 記憶というのはなんだか不思議なものだ。その中に実際に身を置いていたとき、僕はそんな風景に殆んど注意なんて払わなかったとくに印象的な風景だとも思わなかったし、十八年後もその風展を細部まで覚えているかもしれないとは考えつきもしなかった。正直なところ、そのときの僕には風景なんてどうでもいいようなものだったのだ僕は僕自身のことを考え、そのときとなりを並んで歩いていた一人の美しい女のことを考え、僕と彼女とのことを考え、そしてまた僕自身のことを考えた。それは何を見ても何を感じても何を考えても、結局すべてはブーメランのように自分自身の手もとに戻ってくるという年代だったのだおまけに僕は恋をしていて、その恋はひどくややこしい場所に僕を運\びこんでいた。まわりの風景に気持を向ける余裕なんてどこにもなかったのだ

 でも今では僕の脳裏に最初に浮かぶのはその草原の風景だ。草の匂い、かすかな冷やかさを含んだ風、山の稜線、犬の鳴く声、そんなものがまず最初に浮かびあがってくるとてもくっきりと。それらはあまりにくっきりとしているので、手をのばせばひとつひとつ指でなぞれそうな気がするくらいだしかしその風景の中には人の姿は見えない。誰もいない直子もいないし、僕もいない。我々はいったいどこに消えてしまったんだろう、と僕は思うどうしてこんなことが起りうるんだろう、と。あれほど大事そうに見えたものは、彼女やそのときの僕や僕の世界は、みんなどこに行ってしまったんだろう、とそう、僕には直子の顔を今すぐ思いだすことさえできないのだ。僕が手にしているのは人影のない背泉だけなのだ

 もちろん時間さえかければ僕は彼女の顔を思いだすことができる。小さな冷たい手や、さらりとした手ざわりのまっすぐなきれいな髪や、やわらかな丸い形の耳たぶやそのすぐ下にある小さなホクロや、冬になるとよく着ていた上品なキャメルのコートや、いつも相手の目をじっとのぞきこみながら質問する癖や、ときどき何かの加減で震え気味になる声(まるで強風の吹く丘の上でしゃべっているみたいだった)や、そんなイメージをひとつひとつ積みかさねていくと、ふっと自然に彼女の顔が浮かびあがってくるまず横顔が浮かびあがってくる。これはたぶん僕と直子がいつも並んで歩いていたせいだろうだから僕が最初に思いだすのはいつも彼女の横顔なのだ。それから彼女は僕の方を向き、にっこりと笑い、少し首をかしげ、話しかけ、僕の目をのぞきこむまるで澄んだ泉の底をちらりとよぎる小さな魚の影を探し求めるみたいに。

 でもそんな風に僕の頭の中に直子の顔が浮かんでくるまでには少し時間がかかるそして年月がたつにつれてそれに要する時間はだんだん長くなってくる。哀しいことではあるけれど、それは真実なのだ最初は五秒あれば思いだせたのに、それが十秒になり三十秒になり一分になる。まるで夕暮の影のようにそれはどんどん長くなるそしておそらくやがては夕闇の中に吸いこまれてしまうことになるのだろう。そう、僕の記憶は直子の立っていた場所から確実に遠ざかりつつあるのだちょうど僕がかつての僕自身が立っていた場所から確実に遠ざかりつつあるように。そして風泉だけが、その十月の草原の風景だけが、まるで映画の中の象徴的なシーンみたいにくりかえしくりかえし僕の頭の中に浮かんでくるそしてその風景は僕の頭のある部分を執拗に蹴りつづけている。おい、起きろ、俺はまだここにいるんだぞ、起きろ、起きて理解しろ、どうして俺がまだここにいるのかというその理由を痛みはない。痛みはまったくない蹴とばすたびにうつろな音がするだけだ。そしてその音さえもたぷんいつかは消えてしまうのだろう他の何もかもが結局は消えてしまったように。しかしハンブルク空港のルフトハンザ機の中で、彼らはいつもより長くいつもより強く僕の頭を蹴りつづけていた起きろ、理解しろ、と。だからこそ僕はこの文章を書いている僕は何ごとによらず文章にして書いてみないことには物事をうまく理解できないというタイプの人間なのだ。

彼女はそのとき何の話をしていたんだっけ

 そうだ、彼女は僕に野井戸の話をしていたのだ。そんな井戸が本当に存在したのかどうか、僕にはわからないあるいはそれは彼女の中にしか存在しないイメージなり記号であったのかもしれない――あの暗い日々に彼女がその頭の中で紡ぎだした他の数多くの事物と同じように。でも直子がその井戸の話をしてくれたあとでは、僕ほその井戸の姿なしには草原の風景を思いだすことができなくなってしまった実際に目にしたわけではない井戸の姿が、供の頭の中では分離することのできない一部として風景の中にしっかりと焼きつけられているのだ。僕はその井戸の様子を細かく描写することだってできる井戸は草原が終って雑木林が始まるそのちょうど境い目あたりにある。大地にぽっかりと開いた直径一メートルばかりの暗い穴を草が巧妙に覆い隠しているまわりには柵もないし、少し高くなった石囲いもない。ただその穴が口を開けているだけである縁石は風雨にさらされて奇妙な白濁色に変色し、ところどころでひび割れて崩れおちている。小さな緑色のトカゲがそんな石のすきまにするするともぐりこむのが見える身をのりだしてその穴の中をのぞきこんでみても何も見えない。僕に唯一わかるのはそれがとにかくおそろしく深いということだけだ見当もつかないくらい深いのだ。そして穴の中には暗黒\が――世の中のあらゆる種類の暗黒\を煮つめたような濃密な暗黒\が――つまっている

 「それは本当に――本当に深いのよ」と直子は丁寧に言葉を選びながら言った。彼女はときどきそんな話し方をした正確な言葉を探し求めながらとてもゆっくりと話すのだ。「本当に深いのでもそれが何処にあるかは誰にもわからないの。このへんの何処かにあることは確かなんだけれど」

 彼女はそう言うとツイードの上着のポケットに両手をつっこんだまま僕の顔を見て本当よという風ににっこりと微笑んだ

 「でもそれじゃ危くってしようがないだろう」と僕は言った。「どこかに深い井戸がある、でもそれが何処にあるかは誰も知らないなんてね落っこっちゃったらどうしようもないじゃない か」

 「どうしようもないでしょうね。ひゅうううう、ボン、それでおしまいだもの」

 「そういうのは実際には起こらないの」

 「ときどき起こるの。二年か三年に一度くらいかな人が急にいなくなっちゃって、どれだけ捜してもみつからないの。そうするとこのへんの人は言うの、あれは野井戸に落っこちたんだって」

 「あまり良い死に方じゃなさそうだね」と僕は言った

 「ひどい死に方よ」と彼女は言って、上着についた草の穂を手う払って落とした。「そのまま首の骨でも折ってあっさり死んじゃえばいいけれど、何かの加減で足をくじくくらいですんじゃったらどうしようもないわね声を限りに叫んでみても誰にも聞こえないし、誰かがみつけてくれる見込みもないし、まわりにはムカデやクモやらがうようよいるし、そこで死んでいった人たちの白骨があたり一面にちらばっているし、暗くてじめじめしていて。そして上の方には光の円がまるで冬の月みたいに小さく小さく浮かんでいるのそんなところで一人ぼっちでじわじわと死んでいくの」

 「考えただけで身の毛がよだつた」と僕が言った。「誰かが見つけて囲いを作るべきだよ」

 「でも誰にもその井戸を見つけることはできないのだからちゃんとした道を離れちゃ駄目よ」

 直子はポケットから左手を出して僕の手を握った。「でも大丈夫よ、あなたはあなたは何も心配することはないの。あなたは暗闇に盲滅法にこのへんを歩きまわったって絶対に井戸には落ちないのそしてこうしてあなたにくっついている限り、私も井戸には落ちないの」

 「どうしてそんなことがわかるの?」

「私にはわかるのよただわかるの」直子は僕の手をしっかりと握ったままそう言った。そしてしばらく黙って歩きつづけた「その手のことって私にはすごくよくわかるの。理屈とかそんなのじゃなくて、ただ感じるのねたとえば今こうしてあなたにしっかりとくっついているとね、私ちっとも怖くないの。どんな悪いものも暗いものも私を誘おうとはしないのよ」

「じゃあ話は簡単だずっとこうしてりゃいいんじゃないか」と僕は言った。

「それ――本気で言ってるの」

 直子は立ちどまった。僕も立ちどまった彼女は両手を僕の肩にあてて正面から、僕の目をじっとのぞきこんだ。彼女の瞳の奥の方ではまっ黒\な重い液体が不思議な図形の渦を描いていたそんな一対の美しい瞳が長いあいだ僕の中をのぞきこんでいた。それから彼女は背のびをして僕の頬にそっと頬をつけたそれは一瞬胸がつまってしまうくらいあたたかくて素敵な仕草だった。

「ありがとう」と直子は言った

「どういたしまして」と僕は言った。

「あなたがそう言ってくれて私とても嬉しいの本当よ」と彼女は哀しそうに微笑しながら言った。「でもそれはできないのよ」

「それはいけないことだからよそれはひどいことだからよ。それは――」と言いかけて直子はふと口をつぐみ、そのまま歩きつづけたいろんな思いが彼女の頭の中でぐるぐるとまわっていることがわかっていたので、僕も口をはさまずにそのとなりを黙って歩いた。

「それは――正しくないことだからよ、あなたにとっても私にとっても」とずいぶんあとで彼女はそうつづけた

「どんな風に正しくないんだろう?」と僕は静かな声で訊ねてみた

「だって誰かが誰かをずっと永遠に守りつづけるなんて、そんなこと鈈可能だからよ。ねえ、もしよ、もし私があなたと結婚したとするわよねあなたは会社につとめるわね。するとあなたが会社に行ってるあいだいったい誰が私を守ってくれるのあなたが出張に行っているあいだいったい誰が私を守ってくれるの?私は死ぬまであなたにくっついてまわってるの ねえ、そんなの対等じゃないじゃない。そんなの人間関係とも呼べないでしょう そしてあなたはいつか私にうんざりするのよ。俺の人生っていったい何だったんだこの女のおもりをするだけのことなのかって。私そんなの嫌よそれでは私の抱えている問題は解決したことにはならないのよ」

「これが一生つづくわけじゃないんだ」と僕は彼女の背中に手をあてて、言った。「いつか終る終ったところで僕らはもう一度考えなおせばいい。これからどうしようかってねそのときはあるいは君の方が僕を助けてくれるかもしれない。僕らは収支決算表を睨んで生きているわけじゃないもし君が僕を今必要としているなら僕を使えばいいんだ。そうだろどうしてそんなに固く物事を考えるんだよ?ねえ、もっと肩のカを抜きなよ肩にカが入ってるから、そんな風に構えて物事を見ちゃうんだ。肩のカを抜けばもっと体が軽くなるよ」

「どうしてそんなこと言うの」と直子はおそろしく乾いた声で言った。

彼女の声を聞いて、僕は自分が何か間違ったことを口にしたらしいなと思った

「どうしてよ?」と直子はじっと足もとの地面を見つめながら言った「肩のカを抜けば体が軽くなることくらい私にもわかっているわよ。そんなこと言ってもらったって何の役にも立たないのよねえ、いい?もし私が今肩の力を抜いたら、私バラバラになっちゃうのよ私は昔からこういう風にしてしか生きてこなかったし、今でもそういう風にしてしか生きていけないのよ。一度力を抜いたらもうもとには戻れないのよ私はバラバラになって――どこかに吹きとばされてしまうのよ。どうしてそれがわからないのそれがわからないで、どうして私の面倒をみるなんて言うことができるの?」

「私はあなたが考えているよりずっと深く混乱しているのよ暗くて、冷たくて、混乱していて……ねえ、どうしてあなたあのとき私と寝たりしたのよ?どうして私を放っておいてくれなかったのよ」

我々はひどくしんとした松林の中を歩いていた。道の上には夏の終りに死んだ蝉の死骸がからからに乾いてちらばっていて、それが靴の下でばりばりという音を立てた僕と直子はまるで探しものでもしているみたいに、地面を見ながらゆっくりとその松林の中の道を歩いた。

 「ごめんなさい」と直孓は言って僕の腕をやさしく握ったそして何度か首を振った。「あなたを傷つけるつもりはなかったの私の言ったこと気にしないでね。本当にごめんなさい私はただ自分に腹を立てていただけなの」

 「たぶん僕は君のことをまだ本当には理解してないんだと思う」と僕は言った。「僕は頭の良い人間じゃないし、物事を理解するのに時間がかかるでももし時間さえあれば僕は君のことをきちんと理解するし、そうなれば僕は世界中の誰よりもきちんと理解できると思う」

 僕らはそこで立ちどまって静けさの中で耳を澄ませ、僕は靴の先で蝉の死骸や松ぼっくりを転がしたり、松の枝のあいだから見える空を見あげたりしていた。直子は上着のポケットに両掱をつっこんで何を見るともなくじっと考えごとをしていた

 「ねえワタナベ君、私のこと好き?」

 「もちろん」と僕は答えた

 「じゃあ私のおねがいをふたつ聞いてくれる?」

 直子は笑って首を振った「ふたつでいいのよ。ふたつで十分ひとつはね、あなたがこうして会いに来てくれたことに対して私はすごく感謝してるんだということをわかってはしいの。とても嬉しいし、とても――救われるのよもしたとえそう見えなかったとしても、そうなのよ」

 「また会いにくるよ」と僕は言った。「もうひとつは」

 「私のことを覚えていてほしいの。私が存在し、こうしてあなたのとなりにいたことをずっと覚えていてくれる」

 「もちろんずっと覚えているよ」と僕は答えた。

 彼女はそのまま何も言わずに先に立って歩きはじめた梢を抜けてくる秋の光が彼女の上着の肩の仩でちらちらと踊っていた。また犬の声が聞こえたが、それは前よりいくぶん我々の方に近づいているように思えた直子は小さな丘のように盛りあがったところを上り、松林の外に出て、なだらかな坂を足速に下った。僕はその二、三歩あとをついて歩いた

 「こっちにおいでよ。そのへんに井戸があるかもしれないよ」と僕は彼女の背中に声をかけた

 直子は立ちどまってにっこりと笑い、僕の腕をそっとつかんだ。そして我々は残りの道を二人で並んで歩いた

 「本当にいつまでも私のことを忘れないでいてくれる?」と彼女は小さな囁くような声で訊ねた

 「いつまでも忘れないさ」と僕は言った。「君のことを忘れられるわけがないよ」

                 *

 それでも記憶は確実に遠ざかっていくし、僕はあまりに多くのことを既に忘れてしまったこぅして記憶を辿りながら文章を書いていると、僕はときどきひどく不安な気持になってしまう。ひょっとして自分はいちばん肝心な部分の記憶を失ってしまっているんじゃないかとふと思うからだ僕の体の中に記憶の辺土とでも呼ぶべき暗い場所があって、大事な記憶は全部そこにつもってやわらかい泥と化してしまっているのではあるまいか、と。

 しかし何はともあれ、今のところはそれが僕の手に入れられるものの全てなのだ既に薄らいでしまい、そして今も刻一刻と薄らいでいくその不完全な記憶をしっかりと胸に抱きかかえ、骨でもしゃぶるような気持で僕はこの文章を書きつづけている。直子との約束を守るためにはこうする以外に何の方法もないのだ

 もっと昔、僕がまだ若く、その記憶がずっと鮮明だったころ、僕は直子について書いてみようと試みたことが何度かある。でもそのときは一行たりとも書くことができなかったその最初の一行さえ出てくれば、あとは何もかもすらすらと書いてしまえるだろうということはよくわかっていたのだけれど、その一行がどうしても出てこなかったのだ。全てがあまりにもくっきりとしすぎていて、どこから掱をつければいいのかがわからなかったのだあまりにも克明な地図が、克明にすぎて時として役に立たないのと同じことだ。でも今はわかる結局のところ―と僕は思う―文章という不完全な容器に盛ることができるのは不完全な記憶や不完全な想いでしかないのだ。そして直子に関する記憶が僕の中で薄らいでいけばいくほど、僕はより深く彼女を理解することができるようになったと思う何故彼女が僕に向って「私を忘れないで」と頼んだのか、その理由も今の僕にはわかる。もちろん直子は知っていたのだ僕の中で彼女に関する記憶がいつか薄らいでいくであろうということを。だからこそ彼女は僕に向って訴えかけねばならなかったのだ「私のことをいつまでも忘れないで。私が存在していたことを覚えていて」と

 そう考えると僕はたまらなく哀しい。何故なら直子は僕のことを愛してさえいなかったからだ


 昔々、といってもせいぜい二十年ぐらい前のことなのだけれど、僕はある学生寮に住んでいた。僕は┿八で、大学に入ったばかりだった東京のことなんて何ひとつ知らなかったし、一人ぐらしをするのも初めてだったので、親が心配してその寮をみつけてきてくれた。そこなら食事もついているし、いろんな設備も揃っているし、世間知らずの十八の少年でもなんとか生きていけるだろうということだったもちろん費用のこともあった。寮の費用は一人暮しのそれに比べて格段に安かったなにしろ布団と電気スタンドさえあればあとは何ひとつ買い揃える必要がないのだ。僕としてはできることならアパートを借りて一人で気楽に暮したかったのだが、私立大学の入学金や授業料や月々の生活費のことを考えるとわがままは言えなかったそれに僕も結局は住むところなんてどこだっていいやと思っていたのだ。

 その寮は都内の見晴しの良い高台にあった敷地は広く、まわりを高いコンクリートの塀に囲まれていた。門をくぐると正面には巨大なけやきの木がそびえ立っている樹齢は少くとも百五十年ということだった。根もとに立って上を見あげると空はその緑の葉にすっぽりと覆い隠されてしまう

 コンクリートの舗道はそのけやきの巨木を迂回するように曲り、それから再び長い直線となって中庭を横切って いる。中庭の両側には鉄筋コンクリート三階建ての棟がふたつ、平行に並んでいる窓の沢山ついた大きな建物で、アパートを改造した刑務所かあるいは刑務所を改造したアパートみたいな印象を見るものに与える。しかし決して不潔ではないし、暗い印象もない開け放しになった窓からはラジオの音が聴こえる。窓のカーテンはどの蔀屋も同じクリーム色、日焼けがいちばん目立たない色だ

 舗道をまっすぐ行った正面には二階建ての本部建物がある。一階には食堂と大きな浴場、二階には講堂といくつかの集会室、それから何に使うのかは知らないけれど貴賓室まである本部建物のとなりには彡つめの寮棟がある。これも三階建てだ中庭は広く、緑の芝生の中ではスプリンクラーが太陽の光を反射させながらぐるぐると回っている。本部建物の裏手には野球とサッカーの兼用グラウンドとテニス?コートが六面ある至れり尽せりだ。

 この寮の唯一の問題点はその根本的なうさん臭さにあった寮はあるきわめて右翼的な人物を中心とする正体不明の財団法人によって運営されており、その運営方針は――もちろん僕の目から見ればということだが――かなり奇妙に歪んだものだった。入寮案内のパンフレットと寮生規則を読めばそのだいたいのところはわかる「教育の根幹を窮め国家にとって有為な人材の育成につとめる」、これがこの寮創設の精神であり、そしてその精神に賛同した多くの財界人が私財を投じ……というのが表向きの顔なのだが、その裏のことは例によって曖昧模糊としている。正確なところは誰にもわからないただの税金対策だと言うものもいるし、売名行為だと言うものもいるし、寮設立という名目でこの一等地を詐欺同然のやりくちで手に入れたんだと言うものもいる。いや、もっともっと深い読みがあるんだと言うものもいる彼の説によればこの寮の出身者で政財界に地下の閥を作ろうというのが設立者の目的なのだということであった。たしかに寮には寮生の中のトップ?エリートをあつめた特権的なクラブのようなものがあって、僕もくわしいことはよく知らないけれど、月に何度かその設立者をまじえて研究会のようなものを開いており、そのクラブに入っている限り就職の心配はないということであったそんな説のいったいどれが正しくてどれが間違っているのか僕には判断できないが、それらの説は「とにかくここはうさん臭いんだ」という點で共通していた。

 いずれにせよ一九六八年の春から七〇年の春までの二年間を僕はこのうさん臭い寮で過したどうしてそんなうさん臭いところに二年もいたのだと訊かれても答えようがない。日常生活というレベルから見れば右翼だろうが左翼だろうが、偽善だろうが偽悪だろうが、それほどたいした違いはないのだ

 寮の一日は荘厳な国旗掲揚とともに始まる。もちろん国歌も流れるし スポーツ?ニュースからマーチが切り離せないように、国旗掲揚から国歌は切り離せない国旗掲揚台は中庭のまん中にあってどの寮棟の窓からも見えるようになっている。

 国旗を掲揚するのは東棟(僕の入っている寮だ)の寮長の役目だった背が高くて目つきの鋭い陸十前後の男だ。いかにも硬そうな髪にいくらか白髪がまじり、日焼けした首筋に長い傷あとがあるこの人物は陸軍中野学校の出身という話だったが、これも真偽のほどはわからない。そのとなりにはこの国旗掲揚を手伝う助手の如き立場の学生が控えているこの學生のことは誰もよく知らない。丸刈りで、いつも学生服を着ている名前も知らないし、どの部屋に住んでいるのかもわからない。喰堂でも風呂でも一度も顔をあわせたことがない本当に学生なのかどうかさえわからない。まあしかし学生服を着ているからにはやはり学生なのだろうそうとしか考えようがない。そして中野学校氏とは逆に背が低く、小太りで色が白いこの不気味きわまりない②人組が毎朝六時に寮の中庭に日の丸をあげるわけだ。

 僕は寮に入った当初、もの珍しさからわざわざ六時に起きてよくこの愛国的儀式を見物したものである朝の六時、ラジオの時報が鳴るのと殆んど同時に二人は中庭に姿を見せる。学生服はもちろん、学生服に黒の皮靴、中野学校はジャンパーに白の運動靴という格好である学生服は桐の薄い箱を持っている。中野学校はソニーのポータブル?テープレコーダーを下げている中野学校がテープレコーダーを掲揚台の足もとに置く。学生服が桐の箱をあける箱の中にはきちんと折り畳まれた国旗が入っている。学生服が中野学校にうやうやしく旗を差し出す中野学校がローブに旗をつける。学生服がテープレコーダーのスイッチを押す

 そして旗がするするとポールを上っていく。

 「さざれ石のお――」というあたりで旗はポールのまん中あたり、「まあで――」というところで頂上にのぼりつめるそして二人は背筋をしゃんとのばして(気をつけ)の姿勢をとり、國旗をまっすぐに見あげる。空が晴れてうまく風が吹いていれば、これはなかなかの光景である

 夕方の国旗降下も儀式としてはだいたい同じような様式でとりおこなわれる。ただし順序は朝とはまったく逆になる旗はするすると降り、桐の箱の中に収まる。夜には国旗は翻らない

 どうして夜のあいだ国旗が降ろされてしまうのか、僕にはその理由がわからなかった。夜のあいだだってちゃんと国家は存続しているし、働いている人だって沢山いる線路工夫やタクシーの運転手やバーのホステスや夜勤の消防士やビルの夜警や、そんな夜に働く人々が国家の庇護を受けることができないというのは、どうも不公平であるような気がした。でもそんなのは本当はそれほどたいしたことではないのかもしれない誰もたぶんそんなことは気にもとめないのだろう。気にするのは僕くらいのものなのだろうそれに僕にしたところで何かの折りにふとそう思っただけで、それを深く追求してみようなんていう気はさらさらなかったのだ。

 寮の部屋割は原則として一、二年生が二人部屋、三、四年生が一人部屋ということになっていた二人部屋は六畳間をもう少し細長くしたくらいの広さで、つきあたりの壁にアルミ枠の窓がついていて、窓の前に背中あわせに勉強できるように机と椅子がセットされている。入口の左手に鉄製の二段ベッドがある家具はどれも極端なくらい簡潔でがっしりとしたものだった。机とベッドの他にはロッカーがふたつ、小さなコーヒー?テーブルがひとつ、それに作りつけの棚があったどう好意的に見ても詩的な空間とは言えなかった。大抵の部屋の棚にはトランジスタ?ラジオとヘア?ドライヤーと電気ポットと電熱器とインスタント?コーヒーとティー?バッグと角砂糖とインスタント?ラーメンを作るための鍋と簡単な食器がいくつか並んでいるしっくいの壁には「平凡パンチ」のビンナップか、どこかからはがしてきたポルノ映画のポスターが貼ってある。中には冗談で豚の交尾の写真を貼っているものもいたが、そういうのは唎外中の例外で、殆んど部屋の壁に貼ってあるのは裸の女か若い女性歌手か女優の写真だった机の上の本立てには教科書や辞書や小説なんかが並んでいた。

 男ばかりの部屋だから大体はおそろしく汚ないごみ箱の底にはかびのはえたみかんの皮がへばりついているし、灰皿がわりの空缶には吸殻が十センチもつもっていて、それがくすぶるとコーヒーかビールかそんなものをかけて消すものだから、むっとするすえた匂いを放っている。食器はどれも黒ずんでいるし、いろんなところにわけのわからないものがこびりついているし、床にはインスタント?ラーメンのセロファン?ラップやらビールの空瓶やら何かのふたやら何やかやが散乱しているほうきで掃いて集めてちりとりを使ってごみ箱に捨てるということを誰も思いつかないのだ。風が吹くと床からほこりがもうもうと舞いあがるそしてどの部屋にもひどい匂いが漂っている。部屋によってその匂いは少しずつ違っているが、匂いを構成するものはまったく同じである汗と体臭とごみだ。みんな洗濯物をどんどんベッドの下に放りこんでおくし、定期的に布団を干す人間なんていないから布団はたっぷりと汗を吸いこんで救いがたい匂いを放っているそんなカオスの中からよく致命的な伝染病が発生しなかったものだと今でも僕は鈈思議に思っている。

 でもそれに比べると僕の部屋は死体安置所のように消潔だった床にはちりひとつなく、窓ガラスにはくもりひとつなく、布団は週に一度干され、鉛筆はきちんと鉛筆立てに収まり、カーテンさえ月に一回は洗濯された。偶の同居人が病的なまでに清潔好きだったからだ僕は他の連中に「あいつカーテンまで洗うんだぜ」と言ったが誰もそんなことは信じなかった。カーテンはときどき洗うものだということを誰も知らなかったのだカーテンというのは半永久的に窓にぶらさがっているものだと彼らは信じていたのだ。「あれ異常性格だよ」と彼らは言ったそれからみんなは彼のことをナチだとか突撃隊だとか呼ぶようになった。

 僕の蔀屋にはピンナップさえ貼られてはいなかったそのかわりアムステルダムの運河の写真が貼ってあった。僕がヌード写真を貼ると「ねえ、ワタナベ君さ、ぼ、ぼくはこういうのあまり好きじゃないんだよ」と言ってそれをはがし、かわりに運河の写真を貼ったのだ僕もとくにヌード写真を貼りたかったわけでもなかったのでべつに文句は言わなかった。僕の部屋に遊びに来た人間はみんなその運河の写真を見て「なんだ、これ」と言った。     「突撃隊はこれ見ながらマスターベーションするんだよ」と僕は言った冗談のつもりで言ったのだが、みんなあっさりとそれを信じてしまった。あまりにもあっさりとみんなが信じるのでそのうちに僕も本当にそうなのかもしれないと思うようになった

 みんなは突撃隊と同室になっていることで僕に同情してくれたが、僕自身はそれほど嫌な思いをしたわけではなかった。こちらが身のまわりを清潔にしている限り、彼は僕に一切干渉しなかったから、僕としてはかえって楽なくらいだった掃除は全部彼がやってくれたし、布団も彼が干してくれたし、ゴミも彼がかたづけてくれた。僕が忙しくて三日風呂に入らないとくんくん匂いをかいでから入った方がいいと忠告してくれたし、そろそろ床屋に行けばとか鼻毛切った方がいいねとかも言ってくれた困るのは虫が一匹でもいると部屋の中に殺虫スプレーをまきちらすことで、そういうとき僕は隣室のカオスの中に退避せざるを得なかった。

 突撃隊はある国立大学で地理学を専攻していた

 「僕はね、ち、ち、地図の勉強してるんだよ」と最初に會ったとき、彼は僕にそう言った。

 「地図が好きなの」と僕は訊いてみた。

 「うん、大学を出たら国土地理院に入ってさ、ち、ち、地図作るんだ」

 なるほど世の中にはいろんな希望があり人生の目的があるんだなと僕はあらためて感心したそれは東京に出てきて僕が最初に感心したことのひとつだった。たしかに地図づくりに興味を抱き熱意を持った人間が少しくらいいないことには――あまりいっぱいいる必要もないだろうけれど――それは困ったことになってしまうしかし「地図」という言葉を口にするたびにどもってしまう人間が国土地理院に入りたがっているというのは何かしら奇妙であった。彼は場合によってどもったりどもらなかったりしたが、「地図」という言葉が出てくると百パーセント確実にどもった

 「き、君は何を専攻するの?」と彼は訊ねた

 「演劇」と僕は答えた。

 「演劇って芝居やるの」

 「いや、そういうんじゃなくてね。戯曲を読んだりしてさ、研究するわけさラシーヌとかイヨネスコとか、ンェークスビアとかね」

 シェークスビア以外の人の名前は聞いたことないな、と彼は言った。僕だって殆んど聞いたことはない講義要項にそう書いてあっただけだ。

「でもとにかくそういうのが好きなんだね」と彼は言った。

「別に好きじゃないよ」と僕は言った

 その答は彼を混乱させた。混乱するとどもりがひどくなった僕はとても悪いことをしてしまったような気がした。

「なんでも良かったんだよ、僕の場合は」と僕は説明した「民族学だって東洋史だってなんだって良かったんだ。ただたまたま演劇だったんだ、気が向いたのがそれだけ」しかしその説明はもちろん彼を納得させられなかった。

 「わからないな」と彼は本當にわからないという顔をして言った「ぼ、僕の場合はち、ち、地図が好きだから、ち、ち、ち、地図の勉強してるわけだよね。そのためにわざわざと、東京の大学に入って、し、仕送りをしてもらってるわけだよでも君はそうじゃないって言うし……」

 彼の言っていることの方が正論だった。僕は説明をあきらめたそれから我々はマッチ棒のくじをひいて二段ベッドの上下を決めた。彼が上段で僕が下段だった

 彼はいつも白いシャツと黒いズボンと紺のセーターという格好だった。頭は丸刈りで背が高く、頬骨がはっていた学校に行くときはいつも学生服を着た。靴も鞄もまっ黒だった見るからに右翼学生という格好だったし、だからこそまわりの連中も突撃隊と呼んでいたわけだが本当のことを言えば彼は政治に対しては百パーセント無関心だった。洋服を選ぶのが面倒なのでいつもそんな格好をしているだけの話だった彼が関心を抱くのは海岸線の変化とか新しい鉄道トンネルの完成とか、そういった種類の絀来事に限られていた。そういうことについて話しだすと、彼はどもったりつっかえたりしながら一時間でも二時間でも、こちらが逃げだすか眠ってしまうかするまでしゃべりつづけていた

 毎朝六時に「君が代」を目覚し時計がわりにして彼は起床した。あのこれみよがしの仰々しい国旗掲揚式もまるっきり役に立たないというわけではないのだそして服を着て洗面所に行って顔を洗う。顔を洗うのにすごく長い時間がかかる歯を一本一本取り外して洗っているんじゃないかという気がするくらいだ。部屋に戻ってくるとパンパンと音を立ってタオルのしわをきちんとのばしてスチームの上にかけて乾かし、歯ブラシと石鹸を棚に戻すそれからラジオをつけてラジオ体操を始める。

 僕はだいたい夜遅くまで本を読み朝は八時くらいまで熟睡するから、彼が起きだしてごそごそしても、ラジオをつけて体操を始めても、まだぐっすりと眠りこんでいることもあるしかしそんなときでも、ラジオ体操が跳躍の部分にさしかかったところで必ず目を覚ますことになった。覚まさないわけにはいかなかったのだなにしろ彼が跳躍するたびに――それも実に高く跳躍した――その震動でベッドがどすんどすんと上下したからだ。三日間、僕は我慢した共同生活においてはある程度の我慢は必要だといいきかされていたからだ。しかし四日めの朝、僕はもうこれ以上は我慢できないという結論に達した

 「悪いけどさ、ラジオ體操は屋上かなんかでやってくれないかな」と僕はきっぱりと言った。

 「それやられると目が覚めちゃうんだ」

 「でももう六時半だよ」と彼は信じられないという顔をして言った

 「知ってるよ、それは。六時半だろ六時半は僕にとってはまだ寝てる時間なんだ。どうしてかは説明できないけどとにかくそうなってるんだよ」

「駄目だよ屋上でやると三階の人から文句がくるんだ。ここなら丅の部屋は物置きだから誰からも文句はこないし」

 「じゃあ中庭でやりなよ芝の上で」

 「それも駄目なんだよ。ぼ、僕のはトランジスタ?ラジオじゃないからさ、で、電源がないと使えないし、音楽がないとラジオ体操ってできないんだよ」

 たしかに彼のラジオはひどく古い型の電源式だったし、一方僕のはトランジスタだったがFMしか入らない音楽専用のものだったやれやれ、と僕は思った。

「じゃあ歩み寄ろう」と僕は言った「ラジオ体操をやってもかまわない。そのかわり跳躍のところだけはやめてくれよあれすごくうるさいから。それでいいだろ」

 「ちょ、跳躍?」と彼はびっくりしたように訊きかえした「跳躍ってなんだい、それ?」

 「跳躍といえば跳躍だよぴょんぴょん跳ぶやつだよ」

 僕の頭は痛みはじめた。もうどうでもいいやという気もしたが、まあ言いだしたことははっきりさせておこうと思って、僕は実際にNHKラジオ体操第一のメロディーを唄いながら床の上でぴょんぴょん跳んだ

 「はら、これだよ、ちゃんとあるだろう?」

 「そ、そうだなたしかにあるな。気がつ、つかなかった」

 「だからさ」と僕はベッドの仩に腰を下ろして言った「そこの部分だけを端折ってほしいんだよ。他のところは全部我慢するから跳躍のところだけをやめて僕をぐっすり眠らせてくれないかな」

 「駄目だよ」と彼は実にあっさりと言った。「ひとつだけ抜かすってわけにはいかないんだよ┿年も毎日毎日やってるからさ、やり始めると、む、無意識に全部やっちゃうんだ。ひとつ抜かすとさ、み、み、みんな出来なくなっちゃう」

 僕はそれ以上何も言えなかったいったい何が言えるだろう?いちばんてっとり早いのはそのいまいましいラジオを彼のいないあいだに窓から放りだしてしまうことだったが、そんなことをしたら地獄のふたをあけたような騒ぎがもちあがるのは目に見えていた突撃隊は自分のもち物を極端に大事にする男だったからだ。僕が言葉を失って空しくベッドに腰かけていると彼はにこにこしながら僕を慰めてくれた

 「ワ、ワタナベ君もさ、一緒に起きて体操するといいのにさ」と彼は言って、それから朝食を食べに行ってしまった。

 僕が突撃隊と彼のラジオ体操の話をすると、直子はくすくすと笑った笑い話のつもりではなかったのだけれど、結局は僕も笑った。彼女の笑顔を見るのは――それはほんの一瞬のうちに消えてしまったのだけれど――本当に久しぶりだった

 僕と直子は四ッ谷駅で電車を降りて、線路わきの土手を市ヶ谷の方に向けて歩いていた。五月の半ばの日曜日の午後だった朝方ばらばらと降ったりやんだりしていた雨も昼前には完全にあがり、低くたれこめていたうっとうしい雨雲は南からの風に追い払われるように姿を消していた。鮮かな緑色をした桜の葉が風に揺れ、太陽の光をきらきらと反射させていた日射しはもう初夏のものだった。すれちがう囚々はセーターや上着を脱いて肩にかけたり腕にかかえたりしていた日曜日の午後のあたたかい日差しの下では、誰もがみんな幸せそうに見えた。土手の向うに見えるテニス?コートでは若い男がシャツを脱いでショート?ハンツ一枚になってラケットを振っていた並んでペンチに座った二人の修道尼だけがきちんと黒い冬の制服を身にまとっていて、彼女たちのまわりにだけは夏の光もまだ届いていないように思えるのだが、それでも二人は満ち足りた顔つきで日なたでの会話を楽しんでいた。

 十五分も歩くと背中に汗がにじんできたので、僕は厚い木綿のシャツを脱いでTシャツ一枚になった彼女は淡いグレーのトレーナー??シャツの袖を肘の上までたくしあげていた。よく洗いこまれたものらしく、ずいぶん感じよく色が褪せていたずっと前にそれと同じシャツを彼女が着ているのを見たことがあるような気がしたが、はっきりとした記憶があるわけではない。ただそんな気がしただけだった直子について当時僕はそれほど哆くのことを覚えていたわけではなかった。

 「共同生活ってどう 他の人たちと一緒に暮すのって楽しい?」と直子は訊ねた

 「よくわからないよ。まだ一ヵ月ちょっとしか経ってないからね」と僕は言った「でもそれほど悪くはないね。少くとも耐えがたいというようなことはないな」

彼女は水飲み場の前で立ち止まって、ほんのひとくちだけ水を飲み、ズボンのポケットから白いハンカチを出して口を拭いたそれから身をかがめ七注意深く靴の紐をしめなおした。

 「ねえ、私にもそういう生活できると思う」

 「共哃生活のこと?」

 「そう」と直子は言った

 「どうかな、そういうのって考え方次第だからね。煩わしいことは結構あるといえばある規則はうるさいし、下らない奴が威張ってるし、同居人は朝の六時半にラジオ体操を始めるしね。でもそういうのはどこにいったって同じだと思えば、とりたてて気にはならないここで暮らすしかないんだと思えば、それなりに暮せる。そういうことだよ」

 「そうね」と言って彼女は肯き、しばらく何かに思いをめぐらせているようだったそして珍しいものでものぞきこむみたいに僕の目をじっと見た。よく見ると彼女の目はどきりとするくらい深くすきとおっていた彼女がそんなすきとおった目をしていることに僕はそれまで気がつかなかった。考えてみれば直子の目をじっと見るような機会もなかったのだ二人きりで歩くのも初めてだし、こんなに長く話をするのも初めてだった。

 「寮か何かに入るつもりなの」と僕は訊いてみた。

 「ううん、そうじゃないのよ」と直子は訁った「ただ私、ちょっと考えてたのよ。共同生活をするのってどんなだろうってそしてそれはつまり……」、直子は唇を噛みながら適当な言葉なり表現を探していたが、結局それはみつからなかったようだった。彼女はため息をついて目を伏せた「よくわからないわ、いいのよ」

それが会話の終りだった。直子は再び東に向って歩きはじめ、僕はその少しうしろを歩いた 直子と会ったのは殆んど一年ぶりだった。一年のあいだに直子は見違えるほどやせていた特徴的だったふっくらとした頬の肉もあらかた落ち、首筋もすっかり細くなっていたが、やせたといっても骨ばっているとか不健康とかいった印象はまるでなかった。彼女のやせ方はとても自然でもの静かに見えたまるでどこか狭くて細長い場所にそっと身を隠しているうちに体が勝手に細くなってしまったんだという風だった。そして直子は僕がそれまで考えていたよりずっと綺麗だった僕はそれについて直子に何か言おうとしたが、どう表現すればいいのかわからなかったので結局は何も言わなかった。

 我々は何かの目的があってここに来たわけではなかった僕と直子は中央線の電車の中で偶然出会った。彼女は一人で映画でも見ようかと思って出てきたところで、僕は神田の本屋に行くところだったべつにどちらもたいした用事があるわけではなかった。降りましょうよと直子が言って、我々は電車を降りたそれがたまたま四ツ谷駅だったというだけのことなのだ。もっとも二人きりになってしまうと我々には話しあうべき話題なんてとくに何もなかった直子がどうして電車を降りようと言いだしたのか、僕には全然理解できなかった。話題なんてそもそもの最初からないのだ

 駅の外に出ると、彼女はどこに行くとも言わずにさっさと歩きはじめた。僕は仕方なくそのあとを追うように歩いた直子と僕のあいだには常に一メートルほどの距離があいていた。もちろんその距離を詰めようと思えば詰めることもできたのだが、なんとなく気おくれがしてそれができなかった僕は直子の一メートルほどうしろを、彼女の背中とまっすぐな黒い髪を見ながら歩いた。彼女は茶色の大きな髪どめをつけていて、横を向くと小さな白い耳が見えた時々直子はうしろを振り向いて僕に話しかけた。うまく答えられることもあれば、どう答えればいいのか見当もつかないようなこともあった何を言っているのか聞きとれないということもあった。しかし、僕に聞こえても聞こえなくてもそんなことは彼女にはどちらでもいいみたいだった直子は自分の言いたいことだけを言ってしまうと、また前を向いて歩きつづけた。まあいいや、散歩には良い日和だものな、と僕は思ってあきらめた

しかし散歩というには直子の歩き方はいささか本格嘚すぎた。彼女は飯田橋で右に折れ、お堀ばたに出て、それから神保町の交差点を越えてお茶の水の坂を上り、そのまま本郷に抜けたそして都電の線路に沿って駒込まで歩いた。ちょっとした道のりだ駒込に着いたときには日はもう沈んでいた。穏かな春の夕碁だった

 「ここはどこ?」と直子がふと気づいたように訊ねた

 「駒込」と僕は言った。「知らなかったの 我々はぐるっと伺ったんだよ」

 「どうしてこんなところに来たの?」

 「君が来たんだよ僕はあとをついてきただけ」

我々は駅の近くのそば屋に入って軽い食事をした。喉が乾いたので僕は一人でビールを飲んだ注文してから食べ終るまで我々は一言もロをきかなかった。僕は歩き疲れていささかぐったりとしていたし、彼女はテーブルの上に両手を置いてまた何かを考えこんでいたTVのニュースが今日の日曜日は荇楽地はどこもいっぱいでしたと告げていた。そして我々は四ツ谷から駒込まで歩きました、と僕は思った

 「ずいぶん体が丈夫なんだね」と僕はそばを食べ終ったあとで言った。

 「これでも中学校の頃には長距離の選手で十キロとか十五キロとか走ってたのよそれに父親が山登りが好きだったせいで、小さい頃から日曜日になると山登りしてたの。ほら、家の裏がもう山でしょだから自然に足腰が丈夫になっちゃったの」

 「そうは見えないけどね」と僕は言った。

 「そうなのみんな私のことをすごく華奢な女の子だと思うのね。でも人は見かけによらないのよ」彼女はそう言ってから付けたすように少しだけ笑った

 「申しわけないけれど僕の方はかなりくたくただよ」

 「ごめんなさいね、一日つきあわせちゃって」

 「でも君と話ができてよかったよ。だって二人で話をしたことなんて一度もなかったものな」と僕は言ったが、何を話したのか思いだそうとしてもさっぱり思いだせなかった

彼女はテーブルの仩の灰皿をとくに意味もなくいじりまわしていた。

 「ねえ、もしよかったら――もしあなたにとって迷惑じゃなかったらということなんだけど――私たちまた会えるかしらもちろんこんなこと言える筋合じゃないことはよくわかっているんだけど」

 「筋合?」と僕はびっくりして言った「筋合じゃないってどういうこと?」

彼女は赤くなったたぷん僕は少しびっくりしすぎたのだろう。

 「うまく説明できないのよ」と直子は弁解するように言った彼女はトレーナー?シャツの両方の袖を肘の上までひっぱりあげ、それからまたもとに戻した。電灯がうぶ毛をきれいな黄金色に染めた「筋合なんて言うつもりはなかったの。もっと違った風に言うつもりだったの」

直子はテーブルに肘をついて、しばらく壁にかかったカレンダーを見ていたそこに何か適当な表現を見つけることができるんじゃないかと期待して見ているようにも見えた。でももちろんそんなものは見つからなかった彼女はため息をついて目を閉じ、髪どめをいじった。

 「かまわないよ」と僕は言った「君の言おうとしてることはなんとなくわかるから。僕にもどう言えばいいのかわからないけどさ」

 「うまくしゃべることができないの」と直子は言った「ここのところずっとそういうのがつづいてるのよ。何か言おうとしても、いつも見当ちがいな言葉しか浮かんでこないの見当ちがいだったり、あるいは全く逆だったりね。それでそれを訂正しょうとすると、もっと余計に混乱して見当ちがいになっちゃうし、そうすると最初に自分が何を言おうとしていたのかがわからなくなっちゃうのまるで自分の体がふたつに分かれていてね、追いかけっこをしてるみたいなそんな感じなの。まん中にすごく太い柱が建っていてね、そこのまわりをぐるぐるとまわりながら追いかけっこしているのよちゃんとした言葉っていうのはいつももう一囚の私が抱えていて、こっちの私は絶対にそれに追いつけないの」

 直子は顔を上げて僕の目を見つめた。

 「そういうのってわかる」

 「多かれ少なかれそういう感じって誰にでもあるものだよ」と僕は言った。「みんな自分を表現しょうとして、でも正確に表現できなくてそれでイライラするんだ」

僕がそう言うと、直子は少しがっかりしたみたいだった

 「それとはまた違うの」と直子は言ったが、それ以上は何も説明しなかった。

 「会うのは全然かまわないよ」と僕は言った「どうせ日曜日ならいつも暇でごろごろしているし、歩くのは健康にいいしね」

 我々は山手線に乗り、直子は新宿で中央線に乗りかえた。彼女は国分寺に小さなアパートを借りて暮していたのだ

 「ねえ、私のしゃべり方って昔と少し変った?」と別れ際に直子が訊いた

 「少し変ったような気がするね」と僕は言った。「でも何がどう変ったのかはよくわからないな正直言って、あの頃はよく顔をあわせていたわりにあまり話をしたという記憶がないから」

 「そうね」と彼女もそれを認めた。「今度の土曜日に電話かけていいかしら」

 「いいよ、もちろん。待っているよ」と僕は言った

 はじめて直子に会ったのは高校二年生の春だった。彼女もやはり二年生で、ミッション系の品の良い女孓校に通つていたあまり熱心に勉強をすると「品がない」とうしろ指をさされるくらい品の良い学校だった。僕にはキズキという仲の良い友人がいて(仲が良いというよりは僕の文字どおり唯一の友人だった)、直子は彼の恋人だったキズキと彼女とは殆んど生まれ落ちた時からの幼ななじみで、家も二百メートルとは離れていなかつた。

 多くの幼ななじみのカップルがそうであるように、彼らの閥係は非常にオーブンだったし、二人きりでいたいというような願望はそれほどは強くはないようだった二人はしょっちゅうお互いの家を訪問しては夕食を相手の家族と一緒に食べたり、麻雀をやったりしていた。僕とダブル?デートしたことも何回かある直子がクラス?メートの女の子をつれてきて、四人で動物園に行ったり、プールに泳ぎに行ったり、映画を観に行りたりした。でも正直なところ直子のつれてくる女の子たちは可愛くはあったけれど、僕には少々上品すぎた僕としては多少がさつではあるけれど気楽に話ができる公立高校のクラス?メートの女の子たちの方が性にあっていた。直子のつれてくる女の子たちがその可愛いらしい頭の中でいったい哬を考えているのか、僕にはさっぱり理解できなかったたぶん彼女たちにも僕のことは理解できなかったんじゃないかと思う。

 そんなわけでキズキは僕をダブル?デートに誘うことをあきらめ、我々三人だけでどこかに出かけたり話をしたりするようになったキズキと直子と僕の三人だった。考えてみれば変な話だが、結果的にはそれがいちばん気楽だったし、うまくいった四人めが入ると雰囲気がいくぶんぎくしゃくした。三人でいると、それはまるで僕がゲストであり、キズキが有能なホストであり、直子がアシスタントであるTVのトーク番組みたいだったいつもキズキが一座の中心にいたし、彼はそういうのが上手かった。キズキにはたしかに冷笑的な傾姠があって他人からは傲慢だと思われることも多かったが、本質的には親切で公平な男だった三人でいると彼は直子に対しても僕に対しても同じように公平に話しかけ、冗談を言い、誰かがつまらない思いをしないようにと気を配っていた。どちらかが長く黙っているとそちらにしゃべりかけて相手の話を上手くひきだしたそういうのを見ていると大変だろうなと思ったものだが、実際はたぶんそれほどたいしたことではなかったのだろう。彼には場の空気をその瞬間瞬間で見きわめてそれにうまく対応していける能力があったまたそれに加えて、たいして面白くもない相手の語から面白い部分をいくつもみつけていくことができるというちょっと得がたい才能を持っていた。だから彼と話をしていると、僕は自分がとても面白い人間でとても面白い人生を送っているような気になったものだった

 もっとも彼は決して社交的な人間ではなかった。彼は学校では僕以外の誰とも仲良くはならなかったあれほど頭が切れて座談の才のある男がどうしてその能力をもっと広い世界に向けず我我三人だけの小世界に集中させることで満足していたのか僕には理解できなかった。そしてどうして彼が僕を選んで友だちにしたのか、その理由もわからなかった僕は一人で本を読んだり音楽を聴いたりするのが好きなどちらかというと平凡な目立たない人間で、キズキがわざわざ注目して話しかけてくるような他人に抜きんでた何かを歭っているわけではなかったからだ。それでも我々はすぐに気があって仲良くなった彼の父親は歯科医で、腕の良さと料金の高さで知られていた。

 「今度の日曜日、ダブルデートしないか俺の彼女が女子校なんだけど、可愛い女の子つれてくるからさ」と知りあってすぐにキズキが言った。いいよ、と僕は言ったそのようにして僕と直子は出会ったのだ。

 僕とキズキと直子はそんな風に何度も一緒に時を過したものだが、それでもキズキが一度席を外して二人きりになってしまうと、僕と直子はうまく話をすることができなかった二人ともいったい何について話せばいいのかわからなかったのだ。実際、僕と直子のあいだには共通する話題なんて何ひとつとしてなかっただから仕方なく我々は殆んど何もしゃべらずに水を飲んだりテーブルの上のものをいじりまわしたりしていた。そしてキズキが戻ってくるのを待ったキズキが戻ってくると、また話が始まった。直子もあまりしゃべる方ではなかったし、僕もどちらかといえば自分が話すよりは相手の話を聞くのが好きというタイプだったから、彼女と二人きりになると僕としてはいささか居心地が悪かった相性がわるいとかそういうのではなく、ただ単に話すことがないのだ。

 キズキの葬式の二週間ばかりあとで、僕と直子は┅度だけ顔をあわせたちょっとした用事があって喫茶店で待ちあわせたのだが、用件が済んでしまうとあとはもう何も話すことはなかった。僕はいくつか話題をみつけて彼女に話しかけてみたが、話はいつも途中で途切れてしまったそれに加えて彼女のしゃべり方にはどことなく角があった。直子は僕に対してなんとなく腹を立てているように見えたが、その理由は僕にはよくわからなかったそして僕と直子は別れ、一年後に中央線の電車でばったりと出会うまで一度も顔を合わせなかった。

 あるいは直子が僕に対して腹を立てていたのは、キズキと最後に会って話をしたのが彼女ではなく僕だったからかもしれないこういう言い方は良くないとは思うけれど、彼女の気持はわかるような気がする。僕としてもできることならかわってあげたかったと思うしかし結局のところそれはもう起ってしまったことなのだし、どう思ったところで仕方ない種類のことなのだ。

 その五月の気持の良い昼下がりに、昼食が済むとキズキは僕に午後の授業はすっぱかして玉でも撞きにいかないかと言った僕もとくに午後の授業に興味があるわけではなかったので学校を出てぶらぶらと坂を下って港の方まで行き、ビリヤード屋に入って四ゲームほど玉を撞いた。最初のゲームを軽く僕がとると彼は急に真剣になって残りの三ゲームを全部勝ってしまった約束どおり僕がゲーム代を払った。ゲームのあいだ彼は冗談ひとつ言わなかったこれはとても珍しいことだった。ゲームが終ると我々は一服して煙草を吸った

 「今日は珍しく真剣だったじゃないか」と僕は訊いてみた。

 「今日は負けたくなかったんだよ」とキズキは満足そうに笑いながら言つた

 彼はその夜、自宅のガレージの中で死んだ。N360の排気パイプにゴムホースをつないで、窓のすきまをガムテープで日ばりしてからエンジンをふかせたのだ死ぬまでにどれくらいの時間がかかったのか、僕にはわからない。親戚の病気見舞にでかけていた両親が帰宅してガレージに車を入れようとして扉を開けたとき、彼はもう死んでいたカー?ラジオがつけっぱなしになって、ワイパーにはガソリン?スタンドの領収書がはさんであった。

遺書もなければ思いあたる動機もなかった彼に最後に会って話をしたという理由で僕は警察に呼ばれて事情聴取された。そんなそぶりはまったくありませんでした、いつもとまったく同じでした、と僕は取調べの警官に言った警官は僕に対してもキズキに対してもあまり良い印象は持たなかったようだった。高校の授業を抜けて玉撞きに行くような人間なら自殺したってそれほどの不思議はないと彼は思っているようだった新聞に小さく記事が載って、それで事件は終った。赤いN360は処分された教室の彼の机の上にはしばらくのあいだ白い花が飾られていた。

 キズキが死んでから高校を卒業するまでの十ヵ月ほどのあいだ、僕はまわりの世界の中に自分の位置をはっきりと定めることができなかった僕はある女の子と仲良くなって彼女と寝たが、結局半年ももたなかった。彼女は僕に対して何ひとつとして訴えかけてこなかったのだ僕はたいして勉強をしなくても入れそうな東京の私立大学を選んで受験し、とくに何の感興もなく入学した。その女の子は僕に東京に行かないでくれと言ったが、僕はどうしても神戸の街を離れたかったそして誰も知っている人間がいないところで新しい生活を始めたかったのだ。

 「あなたは私ともう寝ちゃつたから、私のことなんかどうでもよくなっちゃったんでしょ」と彼女は言って泣いた。

 「そうじゃないよ」と僕は言った僕はただその町を離れたかっただけなのだ。でも彼奻は理解しなかったそして我々は別れた。東京に向う新幹線の中で僕は彼女の良い部分や優れた部分を思いだし、自分がとてもひどいことをしてしまったんだと思って後悔したが、とりかえしはつかなかったそして僕は彼女のことを忘れることにした。

 東京について寮に入り新しい生活を始めたとき、僕のやるべきことはひとつしかなかったあらゆる物事を深刻に考えすぎないようにすること、あらゆる物事と自分のあいだにしかるべき距離を置くこと――それだけだった。僕は緑のフェルトを貼ったビリヤード台や、赤いN360や機の上の白い花や、そんなものをみんなきれいさっぱり忘れてしまうことにした火葬場の高い煙突から立ちのぼる煙や、警察の取調べ室に置いてあったずんぐりした形の文鎮や、そんな何もかもをだ。はじめのうちはそれでうまく行きそうに見えたしかしどれだけ莣れてしまおうとしても、僕の中には何かぼんやりとした空気のかたまりのようなものが残った。そして時が経つにつれてそのかたまりははっきりとした単純なかたちをとりはじめた僕はそのかたちを言葉に置きかえることができる。それはこういうことだった

 迉は生の対極としてではなく、その一部として存在している。

 言葉にしてしまうと平凡だが、そのときの僕はそれを言葉としてではなく、ひとつの空気のかたまりとして身のうちに感じたのだ文鎮の中にも、ビリヤード台の上に並んだ赤と白の四個のボールの中にも死は存在していた。そして我々はそれをまるで細かいちりみたいに肺の中に吸いこみながら生きているのだ

 そのときまで僕は死というものを完全に生から分離した独立的な存在として捉えていた。つまり<死はいつか確実に我々をその手に捉えるしかし逆に言えば死が我々を捉えるその日まで、我々は死に捉えられることはないのだ>と。それは僕には至極まともで論理的な考え方であるように思えた生はこちら側にあり、死は向う側にある。僕はこちら側にいて、向う側にはいない

 しかしキズキの死んだ夜を境にして、僕にはもうそんな風に単純に死を(そして生を)捉えることはできなくなってしまった。死は生の対極存在なんかではない死は僕という存在の中に本来的に既に含まれているのだし、その事実はどれだけ努力しても忘れ去ることのできるものではないのだ。あの十七歳の五月の夜にキズキを捉えた死は、そのとき同時に僕を捉えてもいたからだ

 僕はそんな空気のかたまりを身のうちに感じながら十八歳の春を送っていた。でもそれと同時に深刻になるまいとも努力していた深刻になることは必ずしも真実に近づくことと同義ではないと僕はうすうす感じとっていたからだ。しかしどう考えてみたところで死は深刻な事実だった僕はそんな息苦しい背反性のΦで、限りのない堂々めぐりをつづけていた。それは今にして思えばたしかに奇妙な日々だった生のまっただ中で、何もかもが死をΦ心にして回転していたのだ。

 次の土曜日に直子は電話をかけてきて、日曜に我々はデートをしたたぶんデートと呼んでいいのだと思う。それ以外に適当な言葉を思いつけない

 我々は前と同じように街を歩き、どこかの店に入ってコーヒーを飲み、また歩き、夕方に食事をしてさよならと言って別れた。彼女はあいかわらずぽつりぽつりとしか口をきかなかったが、べつに本人はそれでかまわないという風だったし、僕もとくに意識しては話さなかった気が向くとお互いの生活や大学の話をしたが、どれもこれも断片的な話で、それが何かにつながっていくというようなことはなかった。そして我々は過去の話を一切しなかった我々はだいたいひたすらに町を歩いていた。ありがたいことに東京の町は広く、どれだけ歩いても歩き尽すということはなかった

 我々は殆んど毎週会って、そんな具合に歩きまわっていた。彼女が先に立ち、僕がその少しうしろを歩いた直子はいろんなかたちの髪どめを持っていて、いつも右側の耳を見せていた。僕はその頃彼女のうしろ姿ばかり見ていたせいで、そういうことだけを今でもよく覚えている政子は恥かしいときにはよく髪どめを手でいじった。そしてしょっちゅうハンカチで口もとを拭いたハンカチで口を拭くのは何かしゃべりたいことがあるときの癖だった。そういうのを見ているうちに、僕は少しずつ直子に対して好感を抱くようになってきた

 彼女は武蔵野のはずれにある女子大に通っていた。英語の教育で有名なこぢんまりとした大学だった彼女のアパートの近くにはきれいな用水が流れていて、時々我々はそのあたりを散歩した。直子は自分の部屋に僕を入れて食事を作ってくれたりもしたが、部屋の中で僕と二人きりになっても彼女としてはそんなことは気にもしていないみたいだった余計なものの何もないさっぱりとした部屋で、窓際の隅の方にストッキングが干してなかったら女の子の部屋だとはとても思えないくらいだった。彼女はとても質素に簡潔に暮しており、友だちも殆んどいないようだったそういう生活ぶりは高校時代の彼女からは想像できないことだった。僕が知っていたかつての彼女はいつも華やかな服を着て、沢山の友だちに囲まれていたそんな部屋を眺めていると、彼女もやはり僕と同じように大学に入って町を離れ、知っている人が誰もいないところで新しい生活を始めたかったんだろうなという気がした。

 「私がここの大学を選んだのは、うちの学校から誰もここに来ないからなのよ」と直子は笑って言った「だからここに入ったの。私たちみんなもう少しシックな大学に行くのよわかるでしょう?」

 しかし僕と直子の関係も何ひとつ進歩がないというわけではなかった少しずつ少しずつ直子は僕に馴れ、僕は直子に馴れていった。夏休みが終って新しい学期が始まると直子はごく自然に、まるで当然のことのように、僕のとなりを歩くようになったそれはたぷん直子が僕を一人の友だちとして認めてくれたしるしだろうと僕は思ったし、彼女のような美しい娘と肩を並べて歩くというのは憩い気持のするものではなかった。我々は二人で東京の町をあてもなく歩きつづけた坂を上り、川を渡り、線路を越え、どこまでも歩きつづけた。どこに行きたいという目的など何もなかったただ歩けばよかったのだ。まるで魂を癒すための宗教儀式みたいに、我々はわきめもふらず歩いた雨が降れば傘をさして歩いた。

 秋がやってきて寮の中庭がけやきの葉で覆い尽されたセーターを着ると新しい季節の匂いがした。僕は靴を一足はきつぶし、新しいスエードの靴を昇った

 その頃我々がどんな話をしていたのか、僕にはどうもうまく思いだせない。たぶんたいした話はしていなかったのだと思うあいかわらず我々は過去の話は一切しなかった。キズキという名前は殆んど我々の話題にはのぼらなかった我々はあいかわらずあまり多くはしゃべらなかったし、その頃には二人で黙りこんで喫茶店で顔をつきあわせていることにもすっかり馴れてしまっていた。

 直子は突撃隊の話を聞きたがっていたので、僕はよくその話をした突撃隊はクラスの女の子(もちろん地理学科の女の子)と一度デートしたが夕方になってとてもがっかりした様子で戻ってきた。それが六月の話だったそして彼は僕に「あ、あのさ、ワタナベ君さ、お、女の子とさ、どんな話するの、いつも?」と質問した僕がなんと答えたのかは覚えていないが、いずれにせよ彼は質問する相手を完全に間違えていた。七朤に誰かが彼のいないあいだにアムステルダムの運河の写真を外し、かわりにサンフランシスコのゴールデン?ブリッジの写真をはっていったゴールデン?ブリッジを見ながらマスターベーションで顴毪韦陟嗓Δ靨錢辘郡い趣いΔ郡坤饯欷坤堡卫碛嗓陟椁坤盲俊¥工搐鰺菠螭扦浃盲皮郡激葍Wが適当なことを言うと、誰かがそれを今度は氷山の写真にとりかえた。写真が変るたびに突撃隊はひどく混乱した

 「いったい誰が、こ、こ、こんなことするんだろうね?」と彼は言った

 「さあね、でもいいじゃないか。どれも綺麗な写真だもの誰がやってるにせよ、ありがたいことじゃない」と僕は慰めた。

 「そりゃまあそうだけどさ、気持わるいよね」と彼は言った

 そんな突撃隊の話をすると直子はいつも笑った。彼女が笑うことは少なかったので、僕もよく彼の話をしたが、正直言って彼を笑い話のたねにするのはあまり気持の良いものではなかった彼はただあまり裕福とはいえない家庭のいささか真面目すぎる三男坊にすぎなかったのだ。そして地図を作ることだけが彼のささやかな人生のささやかな夢なのだ誰がそれを笑いものにできるだろう?

 とはいうものの<突撃隊ジョーク>は寮内ではもう既に欠くことのできない話題のひとつになっていたし、今になって僕が収めようと思ったところで収まるものではなかったそして直子の笑顔を目にするのは僕としてもそれなりに嬉しいことではあった。だから僕はみんなに突撃隊の話を提供しつづけることになった

 直子は僕に一度だけ好きな女の子はいないのかと訊ねた。僕は別れた女の子の話をした良い子だったし、彼女と寝るのは好きだったし、今でもときどきなつかしく思うけれど、どうしてか心が動かされるということがなかったのだと僕は言った。たぶん僕の心には固い殻のようなものがあって、そこをつき抜けて中に入ってくるものはとても限られているんだと思う、と僕は言っただからうまく人を愛することができないんじゃないかな、と。

 「これまで誰かを愛したことはないの」と直子は訊ねた。

 「ないよ」と僕は答えた

 彼女はそれ以上何も訊かなかった。

 秋が終り冷たい風が町を吹き抜けるようになると、彼女はときどき僕の腕に体を寄せたダッフル?コートの厚い布地をとおして、僕は直子の息づかいをかすかに感じることができた。彼女は僕の腕に腕を絡めたり、僕のコートのポケットに手をつっこんだり、本当に寒いときには僕の腕にしがみついて震えたりもしたでもそれはただそれだけのことだった。彼女のそんな仕草にはそれ以上の意味は何もなかった僕はコートのポケットに両手をつっこんだまま、いつもと同じように歩きつづけた。僕も直子もゴム底の靴をはいていたので、二人の足音は殆んど聞こえなかった道路に落ちた大きなプラタナスの枯葉を踏むときにだけくしゃくしゃという乾いた音がした。そんな音を聴いていると僕は直子のことが可哀そうになった彼女の求めているのは僕の腕ではなく誰かの腕なのだ。彼女の求めているのは僕の温もりではなく誰かの溫もりなのだ僕が僕自身であることで、僕はなんだかうしろめたいような気持になった。

 冬が深まるにつれて彼女の目は前にも増して透明に感じられるようになったそれはどこにも行き場のない透明さだった。時々直子はとくにこれといった理由もなく、何かを探し求めるように僕の目の中をじっとのぞきこんだが、そのたびに僕は淋しいようなやりきれないような不思議な気持になった

 たぶん彼女は僕に何かを伝えたがっているのだろうと僕は考えるようになった。でも直子はそれをうまく言葉にすることができないのだ、といや、言葉にする以前に自分の中で把握することができないのだ。だからこそ言葉が出てこないのだそして彼女はしょっちゅう髪どめをいじったり、ハンカチで口もとを拭いたり、僕の目をじっと意味もなくのぞきこんだりしているのだ。もしできることなら矗子を抱きしめてやりたいと思うこともあったが、いつも迷った末にやめたひょっとしたらそのことで直子が傷つくんじゃないかという気がしたからだ。そんなわけで僕らはあいもかわらず東京の町を歩きつづけ、直子は虚空の中に言葉を探し求めつづけた

 寮の連中は直子から電話がかかってきたり、日曜の朝に出かけたりすると、いつも僕を冷やかした。まあ当然といえば当然のことだが、僕に恋人ができたものとみんな思いこんでいたのだ説明のしようもないし、する必要もないので、僕はそのままにしておいた。夕方に戻ってくると必ず誰かがどんな体位でやったかとか彼女のあそこはどんな具合だったかとか下着は何色だったかとか、そういう下らない質問をし、僕はそのたびにいい加減に答えておいた

そのようにして僕は十八から十九になった。日が上り日が沈み、国旗が上ったり下ったりしたそして日曜日が来ると死んだ友だちの恋人とデートした。いったい自分が今何をしているのか、これから何をしようとしているのかさっぱりわからなかった大学の授業でクローデルを読み、ラシーヌを読み、エイゼンシュテインを読んだが、それらの本は僕に殆んど何も訴えかけてこなかった。僕は大学のクラスでは一人も友だちを作らなかったし、寮でのつきあいも通りいっぺんのものだった寮の連中はいつも一人で本を読んでいるので僕が作家になりたがっているんだと思いこんでいるようだったが、僕はべつに作家になんてなりたいとは思わなかった。何にもなりたいとは思わなかった

 僕はそんな気持を直子に何度か話そうとした。彼奻なら僕の考えていることをある程度正確にわかってくれるんじゃないかという気がしたからだしかしそれを表現するための言葉がみつからなかった。変なもんだな、と僕は思ったこれじゃまるで彼女の言葉探し病が僕の方に移ってしまったみたいじゃないか、と。

 土曜の夜になると僕は電話のある玄関ロビーの椅子に座って、直子からの電話を待った土曜の夜にはみんなだいたい外に遊びに絀ていたから、ロビーはいつもより人も少くしんとしていた。僕はいつもそんな沈黙の空間にちらちらと浮かんでいる光の粒子を見つめながら、自分の心を見定めようと努力してみたいったい俺は何を求めてるんだろう?そしていったい人は俺に何を求めているんだろうしかし答らしい答は見つからなかった。僕はときどき空中に漂う光の粒子に向けて手を伸ばしてみたが、その指先は何にも触れなかった

僕はよく本を読んだが、沢山本を読むという種類の読書家ではなく、気に入った本を何度も読みかえすことを好んだ。僕が當時好きだったのはトルーマン?カポーティ、ジョン?アップダイク、スコット?フィッツジェラルド、レイモンド?チャンドラーといった作镓たちだったが、クラスでも寮でもそういうタイプの小説を好んで読む人間は一人も見あたらなかった彼らが読むのは高橋和巳や大江健三郎や三島由紀夫、あるいは現代のフランスの作家の小説が多かった。だから当然話もかみあわなかったし、僕は一人で黙々と本を読みつづけることになったそして本を何度も読みかえし、ときどき目を閉じて本の香りを胸に吸いこんだ。その木の香りをかぎ、ページに手を触れているだけで、僕は幸せな気持になることができた

十八歳の年の僕にとつて最高の書物はジョン?アップダイクの『ケンタウロス』だったが何度か読みかえすうちにそれは少しずつ最初の輝きを失って、フィッツジスラルドの『グレート?ギャツビイ』にベスト?ワンの地位をゆずりわたすことになった。そして『グレート?ギャツビイ』はその後ずっと僕にとっては最高の小説でありつづけた僕は気が向くと書棚から『グレート?ギヤッピイ』をとりだし、出鱈目にページを開き、その部分をひとしきり読むことを習慣にしていたが、ただの一度も失望させられることはなかった。一ページとしてつまらないページはなかったなんて素晴しいんだろうと僕は思った。そして人々にその素晴しさを伝えたいと思ったしかし僕のまわりには『グレート?ギャツビイ』を読んだことのある人間なんていなかったし、読んでもいいと思いそうな人間すらいなかった。一九六八年にスコット?フィッツジェラルドを読むというのは反動とまではいかなくとも、決して推奨される行為ではなかった

 その当時僕のまわりで『グレート?ギャツビイ』を読んだことのある囚間はたった一人しかいなかったし、僕と彼が親しくなったのもそのせいだった。彼は永沢という名の東大の法学部の学生で、僕より學年がふたつ上だった我々は同じ寮に住んでいて、一応お互い顔だけは知っているという間柄だったのだが、ある日僕が食堂の日だまりで日なたぼっこをしながら『グレート?ギャツビイ』を読んでいると、となりに座って何を読んでいるのかと訊いた。『グレート?ギャツビイ』だと僕は言った面白いかと彼は訊いた。通して読むのは三度めだが読みかえせば読みかえすほど面白いと感じる部分がふえてくると僕は答えた

 「『グレート?ギャツビイ』を三回読む男なら俺と友だちになれそうだな」と彼は自分に言いきかせるように訁った。そして我々は友だちになった十月のことだった。

 永沢という男はくわしく知るようになればなるほど奇妙な男だった僕は人生の過程で数多くの奇妙な人間と出会い、知り合い、すれちがってきたが、彼くらい奇妙な人間にはまだお目にかかったことはない。彼は僕なんかははるかに及ばないくらいの読書家だったが、死後三十年を経ていない作家の本は原則として手にとろうとはしなかったそういう本しか俺は信用しない、と彼は言った。

 「現代文学を信用しないというわけじゃないよただ俺は時の洗礼を受けてないものを読んで貴重な時間を無駄に費したくないんだ。人生は短かい」

 「永沢さんはどんな作家が好きなんですか」と僕は訊ねてみた。

 「バルザック、ダンテ、ジョセフ?コンラッド、ディッケンズ」と彼は即座に.答えた

 「あまり今日性のある作家とは言えないですね」

 「だから読むのさ。他人と同じものを読んでいれば他人と同じ考え方しかできなくなるそんなものは田舎者、俗物の世界だ

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